イメージに振り回されていませんか?~現代を生きる女性たちへ「本当の女性らしさとは?」

IRODORI的女性論

暦の上ではいよいよ秋になってしまいましたが、まだまだ暑いですね。スズムシの声が待ち遠しいです。

先日『癒しフェア 2013 in TOKYO』が無事終了いたしました。今回、なんと!その『癒しフェア』で講演させて戴きました。ご来場下さった皆さま、本当にありがとうございました。

その日は「IRODORI的女性論」(※もちろん世の中には男性と女性が存在しているので、男性に関するお話もしました)というテーマで講演させて戴いたのですが、性というのは本当に深いものだなと自分で話していて改めて思いました。というわけで、今回の記事は、もう少しそのテーマで掘り下げて行ってみようと思います!学術的な話ではなく、私自身の考えも色濃くなると思いますが、宜しくお願いします。

時代と共に変わって来る女性観。そもそも女性観とは何なのでしょうか。簡単に言うと「女性ってどんなイメージ?」ということです。身体的構造も含まれますが、メインとなるイメージは文化的、心理的な比重が大きいですね。

たとえば「女性は男性よりも早く起きて化粧をし、朝食の準備をして、常日頃、陰として男性をサポートする」とか。さすがにこれは時代遅れなイメージなので『イマドキ女子』には当てはまらないと思いますし、当然当てはめる必要も無いと思います。

このレトロな女性観、男尊女卑的な感じがしないでもありません。ただ、時代は間違いなく変わってきています。最近はこのようなイメージを持たない男性も少なくありません。むしろ、そういう発想をしたらモテなくなってしまうとすら思っていると思います。

一方で、意識してか無意識か、男性をライバル視し過ぎる女性も少なくありません。
これも「男性はきっと女性をこんなふうに思っているに違いない!負けてたまるか!」といったイメージが強いのかもしれません。

当然、関わる人間関係や状況によって女性観は異なりますので、少なからず影響を受けてしまうのは仕方のないことなのかもしれません。

ただ、大事なのは「これからの女性観」を予想するよりも「どうありたいか?」と言う事だと私は思います。「私は女性として生まれて来たけれど、どういう女性になろうかな?」と言うセルフイメージの方が、ステレオタイプ(定着した考え)の女性観よりも大切なのです。

女性同士のコミュニケーション。異性とのコミュニケーション。自己表現。もしくはTPOによる使い分け。自分らしさを追究しながら、その都度自分が理想とする女性像を誰かに強要するでもされるでもなく目指して行く事が、これからの時代には必要なのではないかと思います。

ただ、時代は急に都合よく変わったりはしません。時には誰かと意見が対立することもあると思います。それでも根気強く、そして相手の意見をお互いに尊重し合い、自分に合った女性観をきちんと持っていれば女性はもっと輝ける。私は、そんなふうに感じています。もちろん、『男性観』も同じ事ですけどね。

大切な事は、いつだって同じ。自分の心に嘘をつかず正直に。
そして、性差を越えて相手を思い遣る気持ちを持つことなのですよ。