『心理セラピスト』が改めて考える!~「完璧主義」と「劣等感」~

世のなかに「完璧」はない

僕は自分で言うのもなんですが、ズボラ人間です。少しは神経を使ったらどうだと思わない事も無いのですが、それはそれで自分なりに理由もあるのです。

いちばん分かりやすい例はPCかもしれません。流石に社名こそ出せませんが、新しいバージョンが出る度に不具合がありませんか? 進化しているハズなのに古いOSの方が使い勝手が良いとか何年に一度かありますよね。でも、彼らは懲りずに次から次へと新しいマシンを出して来ます。そして結果的に、なんだかんだで売れてますよね。もちろん、「もう少しユーザーの気を使ってよ!」とは思います。高い買い物ですからね。

では、もしも彼らが「完璧主義」だったらどうなるでしょうか。賢いあなたはすぐにわかったと思いますが、世の中に「完璧」なんて存在しません。だから、いつまで経っても改良マシンは完成しません。開発費用も会社が儲からなければ減ってしまうでしょう。そうしたら…潰れますよね、会社。

でも、彼らは不完全性やミスがあったとしても、決して笑って誤魔化しているわけではありません。新しいマシンを開発するのと同時進行で、ブロードバンド時代をうまく利用して常に修正プログラムを発表して、彼らなりにフォローを入れていますよね。ここがとても大事なところなのです。

僕は別にPCに詳しいわけではありません。出来れば仕事でPCを使う作業は任せられる人がいたら丸投げしてしまいたい派です。今のご時世「PCも使いこなせないの?」と鼻で笑う人もいるかもしれませんが、苦手なものは苦手なのです。

もし、僕が「完璧主義者」だったら。明らかに向いていないのにPCが使えなければ仕事ができないとスキルアップに比重を取られて他のことが手付かずになってしまったら。明らかに時間の無駄です。そもそも僕の本業はPC屋さんではなくセラピー屋さんなのですから。

セラピストらしく例をあげれば、たとえば「ウツ病」のクライアントさんを一瞬で元気バリバリにするとか不可能なのです。長引かせすぎたら困りますが、その都度その都度、クライアントさんの話をきちんと効いて、一緒に未来を考えて行くと言う作業をします。それこそ不具合が出たらその都度軌道修正するのです。「完全にウツ病を消しさる方法を見つけるまで待っててね」とは決して言えないのです。

「出来ないこと」との向き合い方

自分に出来ない事を克服するのも大切なのですが、それも臨機応変が大切なのです。出来ないなら出来ないで他の手段を選べば良い。人間は万能である必要は無いのです。

とはいっても、「完璧主義者」は簡単には「完璧主義」を止めようとはしません。余談ですが、完璧主義者はウツ病にかかりやすいので気をつけて下さい。
この「完璧主義」は、そもそもどこからそういう人格形成になるのかと言う話をします。全員に当てはまるわけではないので軽く聞き流して欲しいのですが、これは環境によるものが大きいと思います。子供の頃から「何でそんな事も出来ないの?」と言われ続けたら潜在意識に「何でも出来なきゃ無能」と植え込まれてしまう可能性があるのです。ダメ出しばかりされたりしたら、自尊心は傷ついてどんどん負のスパイラルに陥って行きます。

「世間の求めるモノは、自分が思っているよりもっとレベルが高いんだ。それに至らない私は価値のない人間に違いない!」と自己肯定感がマイナスになりすぎると、精神が崩壊します。

育児中の親、もしくは指導者的立場の人は必ず覚えておいて欲しいのですが、悪意が無くても生きて行くのに必須なもので無ければ、相手の出来ない事や苦手な事を頭ごなしに怒ったり、嫌みを言ったりしないであげて下さい。信頼関係にも悪影響を及ぼします。

人はみんな能力が違います。それが個性なのです。個性は大事だと言いながら個性を潰す指導方法がまかり通っているうちは、心がいつもイエローシグナルだと思って下さい。学校の勉強でも、得意科目をもっと褒めてあげて下さい。そして苦手科目は可能な限り相手を尊重しながら歩み遅くとも徐々に克服出来るようにアプローチしてみて下さい。

会社の仕事も同じです。自ら望んで専門職になったのなら話は別ですが、社員も必ずしも万能ではないのです。だから適材適所と言う言葉があるのです。

「期待をすること」と「自分の理想を押しつけること」は似ているようでまったく異なるものです。人生は大きな壁だらけですが、その都度「完璧主義」というトラップにはまるのではなく、柔軟な頭を持ち、その場を切り抜ける知恵をつけて行ってくれたら人生は、きっとより輝かしいものになるでしょう。
人間は、不完全だからこそ美しい。そうは思いませんか?