私たちの周りには、色々な人がいます。
優しい心の子供、意地の悪い大人、自己中心的な人もいれば、奉仕の精神を持つ人もいます。
お金があっても自分だけにしか使わない人もいれば、自分はお金がなくても他の人の為に使う人もいます。
このような人々の違いについて考えた時、ある人は偉い人で、ある人はダメな人なのでしょうか?
実は、魂に優劣などないのです。
みな、同じ魂なのです。
ではなぜそれぞれの度量に差があるのでしょうか?
それは魂の成長度合いの差なのです。
Aという魂は、
人を傷つけたり、許されたり、傷つけられたり、
他の人の喜ぶ顔を見ることがAにとって一番の喜びです。
Bという魂は、それほど人生の経験がありません。
人間として学び始めたばかりの為、なんで人を殴ってはいけないのかも、なんで人のものを盗んではいけないのかも解りません。
他の人の事まで気がつかず、
Aは2007年生まれ、肉体的には5歳です。
Bは1970年生まれ、肉体的には42歳です。
さて、単純にBを「いい年した大人のくせにダメな人」
Bは肉体だけ年をとっているものの、魂は赤ん坊です。
私たちは視覚によって肉体年齢を見ることはできても、
しかし、実際に魂年齢はみなバラバラです。
成長度合いの違う魂が、
赤ちゃんから高齢者まで、
80歳の肉体の中に、赤ん坊の魂が入っていることもあれば、13歳の肉体に成熟した魂が宿っていることも多々あるのです。
なぜバラバラな段階の魂が集う必要があるのでしょうか?
それは学びの為です。
全員が優しい魂だけだったなら、誰もが傷つける事もなければ、
誰かに傷つけられることがなければ、許すことができません。
全員が意地悪な魂だけだったなら、誰も許すことができません。
誰も許すことができなければ、
なので私たちは、色々な成長段階の魂と共に生きて学ぶのです。
成長段階が違うだけで、魂に優劣はないのです。
高校生が小学生に「微分積分を知らないなんておまえはバカだ」
全ての魂に優劣がないことを知ったなら、誰かと比べる事も、誰かを羨む事も、差別することも、もう誰の事をも裁く事は出来ません。
しかし、私たちには出来る事があります。
後続の魂を教え導く事が、先を行く魂に出来る事です。
教え導くことは、押しつける事ではありません。
自らの生き方を見せ、自らが善き方法を実践すること、これが一番の教えと導きの方法です。
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