スピリチュアリズム PART.4~カルマの法則~

「カルマの法則」とは「蒔いた種を刈り取る」という単純な法則のこと。(特に、良いカルマをダルマと呼びます)
自分の行為、言葉、思い、これらが必ず自分に返ってくるということ。

カルマとは決して「罰」「や「報酬」ではなく、単に「結果」なのです。
トマトの種を蒔いてりんごがなることを期待しても、トマトの苗にはトマトしかなりません。しかもカルマの法則は、「実ったトマトは必ず種を蒔いた者が収穫する」までを含むのです。

宇宙の法則は、完璧に働いています。私たちの蒔いた「親切な種」も「嘘をついた種」も、必ずや実を結び私たちで収穫することになります。

しかし、蒔いた種の収穫の時期や、収穫の場所は同じ畑とは限らないのもこの法則。収穫が1分後の場合もあれば、ウン十年後、来世の場合もあるのです。
蒔いた畑で収穫するとは限らない……この意味は、「Aさんにした親切」の収穫が必ずやAさんからもたらされるわけではないのです。

種は正直です。「優しさの種」に隠された「後ろめたさ」も、「ぶっきらぼうの種」に隠れた「思いやり」も、確実に作物に反映されます。自分に起こることは、自分の蒔いた種が実ったものなのです。
この人生のなかで種を蒔き、実を収穫するのであれば、誰にでも原因と結果がわかりやすく理解できます。

しかし時折、今世を越えてカルマの法則は働きます。
この場合は、今回の人生では原因を知ることなく結果の収穫だけになるので、私たち達は事実を受け入れるのに苦労しがちです。

先日、ある霊からのメッセージを聞きました。
今回の人生で、原因不明の精神的な不調を体験している魂は、前世において自分の体に大量の毒(ドラッグ・酒など)を摂取した結果が出ているそうです。
また、前世において社会的立場に立って、人々に対して迫害などを行った魂は、今世で貧しい地域(着るものも食べるものも充分に無い国)に生まれてきている可能性が高いそうです。
食べるものも着るものもない国に生まれている場合、もしかしたらその魂は、前世で人々に対して同じような行為を行っているかもしれないと言うのです。

カルマは罰ではなく、ただ原因に対しての結果なのです。
人は経験して知ることもたくさんあります。きっと、「相手の立場に立って考える」には、自分も相手と同じ経験をすることが、魂の成長には必要なのかもしれません。

ただ、こんな話も聞いたことがあります。
前世でエゴから刺傷殺人を犯したAとBがいました。その後Aは殺人を後悔し善に目覚め、自分の過ちを償い、心から愛を実践し生きたそうです。Bはエゴにまみれたまま何の反省もせず生きていきました。
その後AとBは今世へと生まれ変わります。
Aはある時病気になり、入院して麻酔を行い開腹手術を受けました。
Bはある日、金銭トラブルから背中を包丁で刺されました。
AもBも、同じ様に刃物で身体を刺されています。しかし、麻酔をかけられて医師に開腹されるのと、いきなり背中を包丁で刺されるのでは大きな違いです。
カルマはこのように、形を変えて収穫されることもあるそうです……。

カルマの法則を知ったなら、人生を今世だけで図ることが出来ません。
人と比べて自分の人生に起こる出来事を嘆くことも、優越感に浸ることも出来ません。
私たちがダルマを積み重ねることが出来ることを知っているのも、ある意味大きなプレゼントなのかもしれません。