命の水の話―人は本源の「海」を、体の内に宿している

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海の水を「あの世」に行った魂に例えるなら、
地上を流れる水は「この世」に生きる魂である

「すべての水は海へと流れる運命にある」、なんていう言葉があります。
これは装飾的な表現とかでは決してなくて、地球を循環する水の「自然界における現実」です。

富士山麓などの湧き水は、山に降り注いだ水が何十年もかけて地層の中を流れたのちに湧き出ている、とも言われています。
そんな長い歳月を地中で過ごしたら、きっと水だって「自分は海とは無関係な存在だ……」なんて思い込んでいるかも知れないですよね。
それでも湧き出た水は、川を流れ下り、必ず海へと還って行きます。

そして海の水は、太陽に熱せられて海面から蒸発します。そして雨となって降り注ぎ、ふたたび大地を流れる
このプロセスが、遠大な時間をかけて、延々と繰り返されるわけです。

ここまで読んで、スピリチュアル関連の本などを読み慣れている人なら―、「つまり海が『あの世』で、地上を流れる水を『この世に生きる魂』と言いたいのだな」と思われたでしょう。
ご明察の通りです……。

地球上に存在する水のうち、淡水はたった3%に過ぎない

でも、いくら水が地球を循環していると言っても―、実はその水が「淡水として地上に在る」のは、けっこう並々ならぬことなのです。

地球上には、1兆4000億リットルの水が存在しています。
そのうち海水が占める割合というのは、実に97%にも上ります。一方で淡水は、残りのたった3%に過ぎないのです。
しかもその淡水も、大部分は北極や南極の氷となっていて、河川や地下水など私たちが利用できる形の水というのはわずか0.8%だけなのです。

よく「海洋に包まれたこの星は、地球でなく“水球”だ」とも言われます。
しかしながら、地球にそれほどふんだんに水がある中でも、私たちにとっての「命の水」と呼べるものは、本当に驚くほど貴重な存在であることが分かりますよね。

ところで、最近のスピリチュアル分野では、「あの世では今、この世に生まれ出たいと願う多くの魂たちの順番待ちで、渋滞している状況だ」なんてふうに言われることもあります。
それくらい、この地上世界での人生というのは、魂にとって滅多にない貴重な経験なのでしょう。

なぞらえて言うならば―、もし海の水が「早く淡水になって地上を流れたい!」というふうに願っていたとしても、それを叶えられているのは全体の1%に満たない―、というのと同じくらいの希少性なのかもしれません。

この世に生きているというのは、とても希少なこと

ちなみにですが、米国の人口調査局(Population Reference Bureau)が「地球上にこれまで存在した人類の延べ人数」というのを推計していて、その数はなんと1080億人にも上ります。

現在の地球上には70億人が生きています。人口爆発と呼ばれるほど急増しているのだけど、それでも過去から存在した人類の総数に比べたら、その全体のうちのわずか6%程度に過ぎません。
あとの94%は、既にもう終えられてしまった人生なわけです。

「人は生きているだけで尊い」と言われるけど、いま現にこうして過ごしている人生というのは、数の上でもやはり希少なものなのだなと思えますよね……。

血液の成分は、生命が誕生した40億年前の海水と同じ
私たちは太古の海を体内に宿している

ここでふたたび、水の話に戻りますが……

地球上でとても貴重な淡水、いつか海に還る運命にある水―、そのうちのごく一部分を、私たちはこの体の中に保有しています。
「神の分け御霊」のような感じに、「命の水」を自らの内に常に宿しているわけです。

人間の体の水分量は、胎児だと体重の約90%、子供で70%、成人の場合は60%といわれます。
大人になるに従って、あたかも精霊的な性質が失われていくみたいに、水分も減っていくというのは面白いですよね。

そしてさらに言えば
私たちは淡水を飲んで摂取しているけど、それを淡水の状態のまま体内で保有しているわけではありません。
私たちの血液というのは、なめると少ししょっぱいように、実は「海水の成分」を体の中で再現しているのです。

ただしそれは、今の地球にある海とは違います(現在の海水の塩分濃度は、血液の3倍ほど濃い)
私たちの血の液体成分というのは―、驚くことに、生命が誕生した40億年前の海の成分と同じなのだそうです。
私たちは何と、「太古の海」をずっと変えることなく、体の中に受け継いでいるのです。

いつかは必ず海へと還る水―。
私たちは、その本源である海を、いつも内に持ち続けているというわけなんですよね。