ココロセラピストが語る!? 学校に行く必要がない問題について~少なくとも僕は、そんなに学校が好きではなかった……~

学校

ネットで情報を発信することについて

僕の書いているこの記事もそうですが、ネットで自己主張をする人っていうのは、自分の発言に興味を持ってくれる人を増やそうと少なからず思っていると思うんですね。
なので、僕も含めて、言い回しを工夫したり、時には煽ったりするわけです。

煽るのは目的じゃない。自分が100%正しいとは思っていない。でも、自分が大事だと思うことを、他の人にも、少し興味を持ってもらって、その人なりに、そのテーマについて考えてもらえたら嬉しいなっていう気持も、たぶん、みんな持ってるんですね。

人生に答えなんて無い。正解はわからない。だからこそ、自分なりに考えてみる。
これって、大事だと思うんですよね。
「これは、考えない方がいいな……」って思うのも、また答えのひとつかもしれないですね。

 

学校に行く行かない問題は永遠のテーマ?

ふと気になったテーマがあります。それは「学校にいかない宣言」みたいな話題。
この手の話題は、昔からずっと存在しているんだけど、今も、やっぱり、あるわけですよね。
当たり前と言えば当たり前ですが。

それで、いろいろな意見があると思うので、僕なりの考え方も、ここで、みなさんに伝えておこうかなと思った次第です。

学校に行った方が良いかどうか。
これって、簡単に答えが出せる問題じゃないけど、状況や環境によるんじゃないかと思います。
これが、僕の答えです。

そんなの答えになってないじゃないかって思うんですけど、とっても大事で。
まず、「学校に行ってはいけない」ってことではない。
これは前提として必要な条件です。

世の中を損得勘定だけで決めるのは良くないですが、学校に行くことの、メリットやデメリットってやっぱりあるわけで。その辺にも個人差って、かなりあると思うんですね。

学校

学校が楽しいと思う人は、ぜひ行った方が良いと思うんですよ。特に義務教育は15歳までです。そのタイミングを逃すと、小学校からやり直すって、かなり難しいというか、無理があると思うので。

学校の醍醐味って何だろうって考えると、勉強を教えてもらえるっていうのもありますが、いちばんは、人間関係を学べるってことじゃないかなって僕は思うんですね。子供の頃の友達って、とっても大事だと思うし。

逆に、人間関係って、ややこしくて、必ずしも自分の思い通りに出来るわけじゃないってことも学べるんですよ。これってネガティヴに聞こえるかもしれないけど。すごく大事なことで。

学校って、厳密には保育園とか幼稚園もそうだと思うんだけど、毎日必ずと言って良いほど、誰かが喧嘩してるでしょ。してなくても、誰かが頼んでもいないのに仕切っていたり、威張っていたりするじゃないですか。平然と、いじめをするヤツとか。我こそは正義と思って、勝手に他人を裁こうとするヤツとか。

めんどくさいんだけど、そういう人が世の中には、たくさんいるんだよな、ってことを身を持って知ることもある程度は大事なんですよね。慣れも必要だし、疑問を感じたら、自分の中で、考えてみたり、対策を練ってみたりするよね。そういうのも、とっても大事で。

勘違いしてる人、たまにいるけど、学校って、良い事や綺麗ごとだけの場所じゃないですよ。こういうことを勘違いしてると、ものすごく失望するから。イヤなことや悪いことも、たくさん学べるんですよ。いや、学ばされるんですよ。それが社会だから。そんな中で、生きる知恵や力を身につけるんですよ。

「学校に行かない」っていう選択肢は、そんな中で身につけた知恵かもしれないし、決断なのかもしれない。だから、そういう選択肢が必ずしも間違ってるわけじゃないんです。

学校って、ある種の閉鎖空間だと思うのね。ものすごくヒエラルキーのようなものが存在して、結局、権力を持っている人が最強みたいな。それは、ものすごくストレスなんです。

たとえば、いじめられポジションが確定してしまって、学校に行くと必ずいじめられるのであれば、学校に、むしろ、行かない方が良い場合もあると思います。

いじめの解釈って難しくて、大人だってわからないことが多いし。本人が、自分の人生が滅茶苦茶になるほど脅威に感じていたりするのであれば、それこそ学校に無理して行く必要は無いと思うんですね。いじめに耐えて、卒業したから偉い……ってわけじゃないし。

たとえば、ブラック校則ってあるじゃないですか。明らかに度が過ぎているようなヤツ。そういうのがある場合とかは、学校に行かないって選択肢があっても良いとは思うんですよ。
たとえば、度の過ぎた髪形指定とか。

学校にもよると思うけど、部活に入らなきゃいけないとか、そういうのも大きなお世話で。
やりたいことが、そこになければ、放課後に自分で、その活動しなきゃならないわけで。
自分の人生の質を明らかに下げてしまうのであれば検討の余地はあると思うんですよ。

「授業中にマンガを読んだらダメっていうから、学校に行く意味がない」とか、そういうのは、どうかと思いますよ。「先生のお話中に、話を聞かず、遊んでいたら怒られたから学校に行かない」とか。
「宿題をやらなかったら、怒られた」とか。宿題をやらなかったら暴力を振るわれた……とか、そういうのは少なくとも今の時代アウトだと思うけど。

集団や組織の中でのルールを学ぶことは、とっても大事ですからね。
社会的なマナーを身につけないまま、大人になると、想像以上に困りますからね。というか、就職できないですから。学歴うんぬんの話じゃないですよ。

「会社で勤務中にマンガを読んでいたら上司に叱られたから精神的苦痛で訴えました」みたいな、大人が増えちゃったら、日本ヤバイじゃないですか。

何が言いたいかっていうと、学校は学校で、それなりに価値があって、学べることも多いよねってこと。だけど、学校で学んだこと、体験したことがすべて、良い事で、必ずしも役に立つわけでもないってこと。でも、それは学校に限ったことじゃないんです。

家族と折り合いが良くないから、学校に行きたいって子がいたとします。そしたら、学校って、その子にとっては逃げ場所なんですよ。決して楽しい場所ではなくても、大事な場所なんですね。

ぶっちゃけ、どの学校に入るかで、価値観って大きく変わるから、なんとも言えないんですよね。それは就職先も同じことだけど。入ってみないと分からない。入った時は最悪でも、数年したら人間関係が変わるかもしれない。そうしたら、同じ場所でも、まったく別の場所になったりもするんですよ。時の運も、大きく影響するんですよね。

少なくとも僕は、学校は好きではなかったです。
まず給食が苦手で。みんな、好きですけどね、給食。特に中学校は大嫌いでした。
何が楽しいんだろうって思ってたし。漂う空気感も好きじゃなかった。

「ここにいたら、荒んでいって当然だよな……」って思いながら三年間過ごしました。
でも、だからと言って、中学校という存在を否定するつもりはなかったんですよね。
単純に母校が自分にとって不快な環境だっただけで、世の中にはきっと、楽しい中学校もたくさんあったとは思うし。

学校に行く行かないも大事なんだけど、自分の心をまずは整理整頓することが大事ですよね。

自分の中で答えが出たからと言って、誰かを力づくで共感させる必要もないし。
自分の心を自分で理解するって、ものすごく難しいことで。学校でも家庭でもそうなんだけど、「誰も私のことを理解してくれない……」って思えて来ちゃうと、その環境に価値を感じなくなってくるっていうのはありますよね。

学校

自分の心身を脅かさない。他人の心身を脅かさない。
こういう環境を、みんなで作っていきましょうね。
社会的マナーも学校に期待し過ぎるのはよくないです。

勉強も、学校だけの責任じゃないです。
友達ができない、トイレのやり方がわからない。大人の言うことを聞かない。
これも、学校のせいだけじゃないです。

学校に行けば、学べることはたくさんあります。
でも、学校じゃなくても、人間が人間として生きていける学べる場、守ってもらえる場があれば、無理に行く必要はないかもしれません。

学校という存在を否定するのも悪くはないけれど「じゃあ、どういう学校が存在したら、人生の役に立つと思う?」って考えて、それをみんなで、厚生労働省に向けて意見してみるのも、楽しいかもしれないですよ。

 

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