ココロセラピストが語る!「監視される社会」とは? ~監視されることに慣れ過ぎた僕たち~

一方「見守り」は、文字通り「守り」が目的です。
落ち度や弱みを探すことを目的とはしていません。
「監視」の場合は「どんな小さなことも見逃さないぞ。覚悟しておけ」という雰囲気ですが、「見守り」の場合は、守ってくれているので安心して自由でいられるし、ギスギスしていないので逆に何か問題を起こしてやろうとは思わないと思うのです。

人は強い抑圧に苛まれるとココロが悲鳴を上げて爆発します。
だからこそ、僕は「監視」より「見守り」が好きだったりします。

ストーカーは「監視」が好きなので、どんなことでもチェックしています。
だから気持ちが悪いのです。
でも、たとえばモテる異性って束縛しないですよね。
温かく「見守ってくれて」いてくれています。
でも放置しているわけでも無責任なわけでもなく、そっと要所要所で手を差し伸べてくれたりするイメージはありませんか。

人間は孤独に弱い生き物です。
だから誰からも相手にされないと精神的に悲しくなって来ます。
でも、ずっと監視されていたら本当に安心、安全が手に入るのでしょうか。
ちゃんと気にかけてくれていれば、どちからといえば自由にさせてくれる人の方がありがたみを感じませんか。

 

仕事と監視

仕事も「監視」がどんどん浸透してきた気がします。
犯罪を抑止するためかもしれませんが、どちらかといえば社員が怠けていないかを見張るための意味合いが強い気がしませんか。

ネーミングが「防犯カメラ」だとしても、結局、やっていることは「監視」なのです。
業務上のトラブルを防ぐためという大義名分の元、僕たちは容疑者として見張られているのです。

でも、人間なのですからある程度は、ルールがあっても、その中で自由でのびのびとさせてもらえないと、生産性ってあがらないと思うのです。
常に見られているということに意識を奪われてしまったら、むしろ気分が悪くなりますよね。
実際は悪いことをしていなかったとしても、監視されることによって「オレ、信頼されてないってことだよな……」という気分になったら悲しいに決まっているのです。

お店屋などでも、監視カメラは万引き犯を抑止したり証拠を抑えたりするためにあるのかと思いきや、実は店員を見張っていたという話を時々耳にします。
そういう話を聞くたびに、僕は悲しい気持ちになります。

確かに法的には「従業員の指導や生産性を上げるための改善点を見つけるため」とでもいっておけば問題無いのかもしれません。

確かに従業員の実態を把握する(モニタリング)するのも業務改善のヒントになるかもしれません。
だからといって過度な監視は、僕は逆効果だと思うのです。

 

監獄実験

『スタンフォードの監獄実験』というものがあります。

一定数の人を集め、二つのグループを作ります。

一方は「看守」の役割。
つまり「監視する人」です。

もう一方は「囚人」の役割です。

ロールプレイではありますが、人間は役割を与えると、だんだんその役割になっていくという実験です。
結果として、看守役は囚人を罪人という目で見ているので悪人として見ています。
だから、どんどん監視の目は強くなって行き攻撃的になっていきます。
一方、一方的に悪人扱いされた囚人役たちは看守役に敵意を抱きはじめるのです。

ちなみに僕は先ほどから監視をよくないという言い方をしていますが、全否定しているわけではないことをここで強調しておきます。

度の過ぎた上から目線で「監視」していると、指導にもならないし、平和にもならないということを僕は伝えたいのです。

そのように考えると、監視が当たり前になりすぎると信頼関係にヒビ入りますし、双方が敵同士になってしまう危険性もあるということです。

業務を良くするために監視しているのかもしれませんが、それが結果的に不信感を抱き、信頼関係が壊れ、モチベーションがさがってしまうのです。

仕事に限ったことではありませんが、僕は「監視」ではなく「見守り」こそが、役に立つ考え方ではないかと思うのです。

 

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