生き辛いから疑問を持つ
そもそも、何故僕たちは『命』(または人生)について考えるのでしょうか。
これも僕なりの意見ですが、『生き辛さ』を感じるからだと思うのです。
もし何不自由なく生きていられたら、例外はあるにせよ、僕たちは今ほど『命』について考えないと思うのです。
自分が両親に恵まれ、身体的に恵まれ、金銭的に恵まれ、友人に恵まれ、仕事に恵まれ、自分の関わる人たちもみんな恵まれ、誰も困ってなくて、誰も苦しんでいなくて……貧困も、病気も、戦争もなくて……。
そういう状況だったら、わざわざ『命』をそんなに意識したりしないと思うのです。
「なんで私はこんなにも辛いのだろう」という『生き辛さ』が、その原因や理由を求め、新たな概念や世界を生みだしている可能性もあると思うのです。
何処かで自分なりに折り合いをつけないと具合が悪いのです。
折り合いがつかず悩み過ぎると「生きている意味がわからない。死んだ方が良いのかな?」という具合に『今とは違う世界』を考えてしまうのだと思うのです。
「辛いことも含めて神様の与えた試練なのよ。試練を乗り越えると成長出来るでしょ。
それこそが幸せなのよ」という人も確かにいます。
でも、その『試練』という存在や概念さえ、常に自分や自分の周囲が満たされていたら必要ないことかもしれないですよね。
「人生は生まれる前に自分でシナリオを決めて来た『らしい』」とか「人は生まれる前に親を選んで生まれて来た『らしい』」とか、そういった話も信じて構わないと思います。
でも、それを言われることで余計に苦しくなってしまう人がいるということも忘れないで欲しいです。
「もし、人生や親を前世の自分が選んで来たのだとしたら、大失敗だ! でも、前世の記憶なんてないし、後悔しようにも心当たりがないし、何を反省して良いのかもわからない! お説教されたところで、人智を超え過ぎた世界の話に対してどう対処して良いかわからないし、余計に惨めになった気がする!」ということだって十分にあり得るのです。
その解釈が正しいかどうかなんて、さすがにわかりません。
でも、自分が納得いかない解釈を押しつけられたら良い気がしないのは確かだと思います。
今、この瞬間を生きて!
「死にたい」とか「臓器を売ってお金に変えたい」とかいう人がいますが、そういう方は本当に深呼吸して落ち着いて欲しいのです。
冗談でも、そういうことは言わないで欲しいのです。
来世があるかどうかは別として、今生きている『この世』の時間がまだ残っている以上、自分で早々と切り上げない方が良いと思うのです。
だって考えてみて下さい。
わざわざ『死』に向かったところで、何の保証もないのです。
明日、急に人生最高の日が来る可能性がゼロだと言い切ることだってできないのです。
「あの世は苦しみがない『らしいよ』……」といったような中途半端かつ曖昧な情報に流されないで欲しいのです。
死という存在を否定しているのではなくて、不可抗力で命が終わるまでは率先して命を粗末にしないで欲しいなと思うのです。
人間を超越した世界があろうとなかろうと、「今、この瞬間」を精一杯生きて欲しいのです。
もし、『生き辛さ』があったら、少しでも快方に向かうように意識を向けて欲しいのです。
または、自力でそう思えなくても誰かにそう思えるように支援して貰って欲しいし、自分も支援する側に回って欲しいのです。
善意を巡らせれば『生き辛さ』は少なからず減らせると思うのです。
そうすれば、「今、この瞬間」が常に最善でいられると思うのです。
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