ココロセラピストが考える! 命や人生について考える!~『生き辛さ』を少しずつ解消して楽しく生きられる方法を探し実践する~

命売ります?

『命売ります』というテレビドラマを教えて貰いました。

すごいタイトルだなと思っていたのですが、なんとこの作品、三島由紀夫原作だそうです。

全部観たわけではないのですが、簡単にいうと主人公は死にたがっています。
でも自殺する気はないみたいで、自分の命を売る(誰かの代わりに死んであげる)という不思議なことをしていました。
いろいろなお客さんが命を買いに来るのですが、あれこれとあって結局は死ねません。
そんなことを繰り返しているうちに主人公は命について価値観が変わって行って……という内容です。
ネタバレになってしまうといけないので結末は伏せたままにしておきます。

放映は既に終わっていますが、そのうちDVDかBDになると思うので、興味のある方はぜひ。

 

命や人生というテーマ

『命売ります』という作品の感想にもなってしまいますが、これは現代人にも十分通用するテーマだと感じました。

「命ってなんだろう?」「生きるってなんだろう?」というテーマは、有史以来、ずっと引き継がれてきたものです。
だからこそ、世界には宗教があり、そしてスピリチュアル・ブームはどんどん広まっているのだと思います。

これは僕の考えですが、結局のところ命というのは自分が神にでもならない限り、なんなのかはわからないのかなと思います。

前世とか来世とか宇宙がどうとか、霊とか魂とか、そういう概念は確かにあります。
でも、それってきっとこれから先も謎のままなのかなという気もします。

そういう概念を信じてはいけないとかそういうつもりはありません。
僕も「なくはないんだろうな」と思っています。ただ、信じていない訳ではなく、具体的に明確にイメージしたり説明したりすることが僕にはできないのです。
せいぜい「らしいよ」ということくらいです。

この「らしいよ」がまたクセモノだったりします。
というのも、少なからず誰かの、もしくは自分独自の個人的解釈が入ってしまうということです。

もちろん「らしいよ」を信じて構わないのです。
だって自分自身という存在だって、あれこれ考えたところでやっぱり証明できない訳ですから。

ただ、この「らしいよ」を押し付けたりするのは止めた方が良いかなと僕は思っています。
何故かというと「らしいよ」といわれても信じたれない人や受け入れられない人にはハテナの世界であり、「そんなこと言われてもなぁ……」という世界だからです。

「どうやれば相手に自分が言っていることを受け入れさせることが出来るのか?」ということにフォーカスしすぎると、それはもはや洗脳でありマインドコントロールであり、迷惑行為になってしまいます。

むりやり宗教やスピリチュアルを信じることを強要して『御布施貧乏』や『スピ貧乏』になってしまったら誰が責任を取ってくれるのかという問題も出てきます。
ここでいう『貧乏』は必ずしも、お金に限ったことではなく、時間や人間関係も含めて乏しくなってしまうというニュアンスで解釈して下さい。

どちらかといえば『信じること』の重要性と同じくらい『疑うこと』の重要性も教えてあげて下さい。
『考える余地』を奪わないで欲しいのです。
どちらにしても折角『私』として生まれて来たのですから、自分で考えて自分で決断して自分なりの幸せを見つけて、感じて、追求して欲しいのです。

宗教にしろスピリチュアルにしろ、勧誘では無くて自然に自分が感じるままに信じたり辞めたりできたら良いのかなと思います。

その方が「あるがまま」な感じがするのです。

補足ですが、宗教やスピリチュアルではないにしても、カウンセラーやセラピストが自分の価値観や世界観を強要するのはお勧めしません。
僕自身も、自分なりの考えや解釈を発信していますが、それをどう解釈するかは、受け手に自由に委ねているつもりです。