ココロセラピストが語る!『心の時代~今・昔~』とは?~昔も今もこれからも心という存在は在り続ける!~

自分の心の声を聞いて下さい。 悲鳴をあげていたら助けてあげて下さい。

『心の時代』ブームは結構長く続いている?

心理学、脳科学、スピリチュアル(精神世界)、占い、成功哲学、自己啓発。この手のブームは終わることを知りません。
数々のリーダーたちの言葉が世界中を駆け巡っています。

この現象が意味しているモノは何か。
それは極端に言えば、不安と不満だと思います。
でも勘違いしないで欲しいことがあります。
それは偏見です。

「心に興味を持っている人っていうのはつまり、心が弱いか病んでいるということでしょ?」という色眼鏡で見ないことが大切です。
色眼鏡で見てしまうと、心は曇って見えなくなってしまいます。

 

本屋の心理学コーナーにいると変人?

かなり大昔に遡りますが、僕は若い頃からこの手の話が大好きでした。
学生時代のある時、友人と本屋さんに行きました。
僕は迷わず心理学系のコーナーに行きました。
本能の赴くままに。
もちろんそれで良いのです。
だって友人の探し物を一緒に探すために来たわけではありませんから。

すると友人が僕のところにやって来てこう言いました。
「TATSUMIくん。そういうコーナーをウロウロしない方が良いよ」と。
どうしてか聞くと彼はこう答えました。
「そんなコーナー(心理学系)ばかり見ていると、変な人と思われるよ。君はもっと人の目を気にした方が良いよ……」と。
しかも、かなり真顔で。
まるで僕が変人みたいな言い方です。

確かに変人ではあるかもしれませんが、有害図書コーナーにいるわけでもなんでもないのに注意されるとは思っていなかったので、かなり驚きました。
友人からすれば、僕は相当世間からズレていたのでしょう。

ビックリですよね。今だったら、そういう(偏見に満ちた)注意をする人なんてまずいませんよね。
ちなみに友人を否定したいのではなく、そういう時代だったという話です。

 

カウンセリングを勧めるとテレビの見過ぎと鼻で笑われる!

当時は悩んでいる人にカウンセリングを勧めると「テレビ(ドラマ)の見過ぎだよ」と鼻で笑われる時代でした。

確かに今ほど、カウンセラーやセラピストの数は多くありませんでした。
精神科に受診して薬を貰うか、病院にいる医療系カウンセラーに話を聞いてもらうくらいしか手段はなかったかもしれません。

今みたいに個人でカウンセラーやセラピストをやっている医療とは違った分野の人たちもいなかったし、仕方が無いと言えば仕方が無かったのかもしれません。

今は必ずしも「悩みを打ち明ける=病名をつけられる」といった偏見は無くなって来ました。
たとえば自分を高めたい人はコーチに相談すれば良いし、恋愛に行き詰ったら、それこそカウンセラーやセラピストに相談すれば良いのです。
もっと言えば占い師も増えましたし、相談の種類や自分の好みやニーズに合わせて誰に相談すれば良いのかを選択できるという時代になったのですね。

もちろん、それが絶対的であり、保障されるものであるかと質問されても困ります。
それは心を扱う分野に限らず、世の中に絶対等と言うモノは絶対にないのですから。

今でこそアスリートがメンタルトレーナーを雇っていると言っても不思議ではありませんが、当時の人たちが聞いたら「洗脳されてるんじゃない?」とか思ったかもしれませんね。
今なら「まぁ、そうだよね」で納得、終了ですよね。

心は常に変動しています。
異変が無くても時々、自分を見常直すという作業はとても大切です。
今も若干、「自分の心と向かい合う=気合と根性」「自分の心と向かい合う=自力」という思い込みの強い方もいらっしゃいます。
でも、必ずしもそうではないという事を、時々で良いので思い出して下さいね。

 

興味の対象は狂気?

では、その当時は人々の心が豊かで平和な古き良き時代だったのでしょうか。
実はそんなことは全くありません。
怪しげなカルト集団が次々に台頭し、世間を賑わせている時代でもありました。
悪い意味で歴史の残るような大事件がいくつもあった気がします。

どうして人々が、そういう危険な方向に走ってしまうのか。
それは、当時の多くの人たちが救いを求めていたからです。
そして救いは本質的に突き詰めると心なのです。
ただ、心を見つめる場所を誰も知らなかったから、怪しげな方向に向かってしまう人が多かったのだと思います。

ちなみに宗教批判をしているわけではありません。
今は、特定の宗派に属さなくても、普通に神社巡りをしてストレスを解消したり、座禅体験をして癒されたりと言ったことも、普通になっています。
そういう意味では宗教が一般に開かれたと言っても良いのかもしれません。