仕事という病
時代は日々変化しています。
でも、仕事に関する価値観ってまだまだ改善の余地があるのかなって思います。
どういう事かというと仕事を社会的ステータスと勘違いしているという事です。
もちろん働くことは悪いことではありません。
たくさん働いて、たくさんお金を稼いで、たくさんの経済を回転させた方が資本主義経済のこの国では良い事かもしれません。
ただ、心身を病む原因の大きな理由に『仕事の問題』があるということを、頭では理解していても、まだまだ受け入れられていない人たちが多い気がします。
はっきり言って、この手の問題は心理テストを、ちょちょいとやって点数で健康を測定できるとか、そんな単純なものではありません。
調子が悪くなったら病院に行って薬を貰えばそれで解決という問題でもないのです。
「業務を見て人(社員)を見ず」「利潤を見て人(社員)を見ず」「お客様を見て人(社員)を見ず」。
なんとなく、そんなふうに会社や職場に対して感じる事ってありませんか。
そもそも、仕事ってなんだろうと考えると、社会(を構成する人々)を円滑にするためのツールの1つです。
まず、これを履き違えると僕たちは病んでしまうのです。
なのに人(社員)の事は、見ない、考えない。
もし、本当にそういう会社があれば、それを『ブラック会社』というのです。
人ありきなんです、社会というのは。
人がどんどん病んで行ってQOL(生活の質)が低下してしまうのであれば、シンプルに考えたら仕事なんてしない方が良いのです。
逆に言えば、もっと、個人個人をきちんと尊重出来れば、仕事というモノは病むプロセスではなくなりますし、それこそストレスではなくなるのではないかと思うのです。
仕事というのはとても大切なものなのに、仕事のせいでQOLが下がってしまうという病、矛盾にそろそろ気がついても良い時代に突入して来たのではないかなと思う今日この頃です。
働いたら負けだと思っている?
少し前に「働いたら負けだと思っている」という言葉が流行りました。
面白がって揶揄している人も多かった気がしますが、僕はとても衝撃を受けました。
「働いたら負け」と思う基盤が無ければ、そもそもそんな発想にはならないからです。
だって、普通に考えたら「幸せになるために働く」のであって「義務だから働く」のではないと思うのです。
たとえば、お金に困っているわけでもない主婦がいたとして、案外パートをしていたりしますよね。
どういうことかというと、社会との接点として仕事を持つという事に意義があるということなのです。
または、やってみたい業種にチャレンジしてみるというのも立派な労働の意義だと思います。
ここで考えて欲しいのですが、とにかくお金を稼ぐ事だけが仕事の目的では無いのです。
というと、勘違いした人が出て来ます。
「その通りですね! お金のために働くのではなく、働く事に価値があるんですよね!」と。
そう言われても僕は残念ながら共感することはできません。
それなら「お金いらないなら、ボランティアで良いじゃん……」ということになって来ます。
わざわざ制約の多い会社で働く必要などないわけです。
ボランティアというのは『自発的な善意』が基本です。
つまり好きでやっているので『サービス残業』なんて存在しないですし、『過労死』なんて、もっとあり得ません。
でも、みんながボランティア、ボランティアとボランティアばかりプッシュするとどうなるかというと、最終的には自発性が失われ、暗黙の義務化になってしまう危険性もでてきます。
ヒエラルキーも出て来ると思います。