小さな世界
子供の頃、学校で習った『小さな世界』という歌は僕にとってはとても衝撃的でした。
「なんて、スケールの大きな歌なんだろう!」と幼心に感動したものです。
僕が子供の頃といえば、外国と言えばアメリカとソ連(※ロシア)と中国くらいしか知りませんでした。でも、実際は、国はもっともっとたくさん存在していたのです。
今の子供たちに、そんな話をしたら「そんなわけないでしょ!」と笑われそうですね。
でも、僕と同年代の人は、きっと僕と同じように世界の広さを知らなかった人たちもたくさんいたのではないかと思います。
世界中のみんなが仲良しだったら、どんなに素晴らしい事でしょうか。
そうしたら、小さな諍いから大きな戦争まで、そういった生き辛さを助長するようなモノはキレイになくなり平和な世界になると思います。
でも、『小さな世界』のような、みんな仲良しという世界観は、まだ実現していません。
今でも世界のどこかでは頻繁にテロが繰り返されていたり、信じがたいような事がたくさん起きているのです。
それらの問題にはさまざまな原因があると思います。
でも、それらを突き詰めて行くと、コミュニケーションの問題ではないかと思えて来ます。
もっと小さな世界
ではワールドワイドでは無くてもっと小さな規模で考えたらどうでしょうか。
たとえば日本限定。
みんな仲良しでしょうか。
残念ながらそうとも言えません。
もっと小さな規模で考えると、学校や会社でも誰かと誰かがぶつかり合い、親戚同士でも誰かと誰かがぶつかり合い、喧嘩をしています。
どんなに小さなグループにしても、みんなが意気投合して仲良しとはなかなかいきません。
これは一体どういう事なのでしょうか。
みんな同じ人間なのに、どうしてみんなが仲良しになることがこれほどまでに難しいのでしょうか。
本当にみんな同じ人間?
ところで、ここで考えて欲しい事があります。
僕たちは本当にみんな、同じ人間なのでしょうか。
いえ、僕は別にみんなの中に宇宙人が紛れこんでいるとか、そういう話がしたいわけではないのです。
もちろん人種の話でもありません。
確かに僕たちは同じ人間というカテゴリで括られています。
しかし、僕とあなたは同じ人間であり、違う人間ですよね。
当たり前です。
1人1人に人格があって、1人1人に人生があります。
つまり、僕たちは同じ人間という括りではあるけれど、個人レベルで考えたら別モノということです。
ただ、ここで勘違いして欲しくないのは「だから分かち合えるハズがない!」ということではないという事です。
そうではなくて「自分と同じ価値観の人だけが存在しているわけではない」という事なのです。
みんながみんな同じ価値観ではないから、衝突があるのは不思議ではないのです。
では仮に、みんながみんなが同一規格で同一の価値観だったらどうでしょうか。
それこそ不気味だと思いませんか。
まるでSF世界です。
違う存在
僕たちは、みんな異なる存在なのです。
そして尊い存在なのです。
だからこそコミュニケーションがあるわけで、分かち合おうとする気持ちも出て来るのだと僕は思うのです。
ところが、ここを見落としてしまうからトラブルが生じてしまうのです。
自分という存在を基準に「みんな、同じに違いない!」という思い込みや先入観を持っていると本当に危険です。