私、どうしても変わりたいんです!—ココロセラピストが語る!『セルフ・チェンジ』とは?—

流されるのも悪くはありませんが、どうせなら本当になりたい自分になった方が良いのではないかと思うのです。そして、本当は自分自身が生きる上で何を欲して、何を望んで、どんな自分になりたいのかを知って欲しいのです。

たとえば、日本人による日本人のための日本ならではの技術を日本人に「本気で!」残したいとします。そうしたら英語を必死で身につけてペラペラになっても、あまり役には立ちません。

英語がペラペラなのはカッコいいかもしれませんが、「だから何?」とか「暇なの?」の世界になってしまうのです。外国人に道を聞かれてスラスラ答えるためだけの理由で、多くの犠牲を払っても正直、そんなに価値があるとは思えません。

もちろん仕事とか使命とか関係なく、英語を覚える事が楽しくて楽しくて仕方が無いというなら、それは人生にとって価値があるので英語がペラペラな自分を目指す事は有意義な事だと思います。

誤解を招くといけないので付け加えておくと、僕は英語に意味が無いと言っているわけではありません。人によって「どんな自分になりたいか?」は違うと言う話をしているのです。
もし、人生のテーマと言うか、優先順位が明確ならば、そちらを優先した自分に変化するように意識を向けた方が良いです。

何を言いたいのかと言うと、「それ、本気なの?」ということです。本気でないモノを目指しても挫折してしまうのです。逆に言うと、その辛さや挫折に負けることなくチャレンジし続ける価値がある事をしているのなら、それには価値があるのです。

たとえば、「もっと仕事が出来る私になりたい!」とします。それが、あなたにとって苦痛でしかたまらない仕事だとしたらどうでしょう。もしかしたら楽しくなってくるかもしれません。
しかし、本当はイヤだけど、その仕事スキルが誰よりも高くなれたら、それは本当に自己実現なのでしょうか。それこそ本当は嫌いなのに仕事が出来るからと期待されてしまったらどうでしょうか。
苦痛に耐えた結果が更なる苦痛になってしまいます。

戦いたくないのに「仮面ライダーになりたい!」といって、物事の本質を考えずひたすらそれを目指して、仮面ライダーに変身できるようになってしまったらどうでしょうか。毎回毎回、怪人と戦わなければならなくなります。負けても、逃げても、軽蔑されるかもしれません。

今の時代って、偽りの成功者イメージのようなモノが氾濫しているように思えてなりません。「こういう私になりたい!」みたいな、誰かが作り上げた幻想を目指すシステムがどこかに存在しているような気がするのです。でも、それって単に操られているだけですよね。ブームが去れば、「今は○○が旬!」とか「最近の考え方は××」という具合にまた新しい変化を提案され続けるのです。

流されるのも悪くはありませんが、どうせなら本当になりたい自分になった方が良いのではないかと思うのです。そして、本当は自分自身が生きる上で何を欲して、何を望んで、どんな自分になりたいのかを知って欲しいのです。

それがわかれば、本当の意味で、あなたはなりたい自分に変身できる日が近づいて来ると思うのです。

 

 

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