ココロセラピストが語る『コミュニケーションのための読書のススメ』とは?

もしも多くの人がより言語能力が高ければ、世の中から誤解というものはもっと減ると思いますし、相手の言い分も一層理解できるようになると思います。そして、自分の伝えたい内容もより正確になると思います。

活字離れ?

活字離れが問題になっています。原因はいろいろあると思います。率直に本を読むのがメンドクサイという方も多いと思います。日本の教育が試験に出る要点だけを抑えて出来るだけ効率よく勉強するように促す傾向がある(?)からかもしれません。

TwitterやLINEの影響で、短文でやり取りすることが増えてしまい、長文読解能力がついていけないからかもしれません。もしかしたら仕事や学校関連のタスクが忙しすぎて活字を読む時間が作れないのかもしれません。活字に触れるきっかけがなかった人もいるかもしれません。

でも、実際のところはどうなのかは少々疑問ではあります。本が売れない時代になったと言えども、電子書籍を読んでいる方も多いかもしれませんし、それこそインターネットで長文を読む習慣がある方もたくさんいると思います。

 

コミュニケーション能力が関係ありそう?

これは僕の主観ではありますが、何故活字離れが起きているように思えるのかを考えてみました。率直にコミュニケーション能力低下が大きく影響しているのではないかと思うのです。

★誰と話しているのかわからない系
人の話を途中まで聴いて、自分の中で勝手に結論を想像します。それを相手の主張だと思い込んで、自分のイメージした結論を相手の意見として勝手に意見を言う人がいます。一見すると相手と話をしているように見えなくもありませんが、実はこれって妄想と会話していますよね。現実の話し相手の言い分は伝わっていませんから。そうなってくると相手は「え? あなたは何に対して怒っていたり、反論しているの? そもそも私、そんな話、してないんだけど……」という具合になってしまいます。傾聴不足以前の問題ですよね。相手はこう言いたいのだろうというイメージに対し、返事をしているわけですものね。
ちなみに赤ちゃんは自分と他人の境界線がわからないと言いますが、大人の話です。

★話が見えない系(滅裂思考!?)
一生懸命何かについて語ってくれているのですが、何の話をしているのかが謎な人がいます。本人は自覚なく論理的に語っているようなのです。よくよく聴いていると話がアチコチに飛んでいたり、最初に言っていた論点は何処へ言ったのか、別の話をしていたり意味がわかりません。でも軌道修正しようとすると、こちらが話を聞いていないような空気になって気まずくなってしまったりすることもあります。
意図的に話題を変えたいのならわかるのですが、そういうつもりでも無さそうなので結果、話が通じません。一般的には、少々脱線しても自分で軌道修正するものです。でも、本人は話し終わると結局何が言いたかったのか相手にまったく真意が伝わっていないにも関わらず、「まぁ、そういう事だよ」という具合に自己完結してしまいます。場合によっては、「あなたは私の話をちゃんと聞いていないし、わかろうともしない!」と怒りだす人もいます。

★言葉にできない系
日本語が出てこない人がいます。言語障害ではないと思われます。シャイ故に緊張して言葉が出てこないわけではなさそうです。何か言ったら怒られると思っているのか、反論されると思っているのかもわかりません。何も考えていないわけでも無さそうです。もっと言うとコミュニケーションを拒否したがっているわけでも無さそうです。伝えたいことはたくあんあるけれど、頭の中で混乱してしまって言語化できないのか、優柔不断なのかもわかりません。こちらが「どうしたの?」とか「何と言いたいのかな?」等と言おうものなら「うーん……」としか返って来ません。もちろん急かしてはいません。「お腹がすいているの?」とか、こちらから相手が何を言いたいのか察して言語化して1つ1つ確認しながら話をしていかないと意思疎通が著しく困難です。こちらは超能力者ではありませんので、相手の考えを読んでそれを言語化し、相手に伝え、そして確認しながら話を続けるというのはかなり酷です。
相手が赤ちゃんの場合はシンプルな情報伝達しか基本的に望まないので、察してあげることはある程度可能ですが、大人の思考のすべてを察するのは超能力者以外には不可能です。

上記の例はホンの1部に過ぎませんが10人に1人くらいはこの手のタイプに遭遇しないでしょうか。ボキャブラリーの問題もあると思います。論理的思考の問題もあると思います。相手の情報をきちんと把握しようと思う気持ちの有無も関係あります。情報の確認や自分の意見の言語化の問題もあると思います。

 

コミュニケーションと言語!

動物に関してはわかりませんが、少なくとも人間は言語によって世界を認識している部分が大きいです。たとえば「スマホ」という言葉を知っているから、「スマホ」という存在を認識できるのです。「スマホ」という言葉を知らなければ「スマホ」を見せられても「ガラスをはめ込んだ板」と思うかもしれません。
つまり、モノや概念を共有化してコミュニケーションをとるためにはどうしても言語が必要不可欠なのです。そして、それは単語だけでは成立せず文法も必要になってくるのです。
(当然、非言語コミュニケーションもかなり重要です!)

 

本を読もう!

何を言っているかわからない。何を伝えたいのか自分でもわからない。単語が出てこない。文章が組み立てられない。これでは複雑な人間社会を生きていけません。にもかかわらず、そういう人が一定数以上いるであろうと言う事から、「やっぱり普段から活字を読んでいないのかな?」と思えてくるのです。
もちろんこれは邪推かもしれません。ただ、もしも多くの人がより言語能力が高ければ、世の中から誤解というものはもっと減ると思いますし、相手の言い分も一層理解できるようになると思います。そして、自分の伝えたい内容もより正確になると思います。

「この人、何を言っているかさっぱりわからないね。ま、軽くスルーしよう。別に問題無いでしょう……」という心の在り方の方が増えてしまうと、これは大問題です。心が通わない世の中に未来はありません。

相手の気持ちを理解するためにも、自分の気持ちを伝えるためにも、やはり言葉は大切なのです。言葉のセンスを磨くには本を読むのが一番かもしれないと僕は思っています。

偉そうに書いていますが、決して僕は自分の言語能力が優れているとは思っていません。むしろ劣っているとさえ思っています。だからこそ、せめて自国語でのコミュニケーションくらい円滑にできるように、今後もたくさんの本を読んでより良い表現を身につけようと思っています。

もし、あなたの周りにあまり活字を読まない方がいたら、読書を勧めてみてください。本の種類は自由で良いと思います。自分が楽しめることもとても大切です。楽しみながら、伝え方をどんどん身につけていけたら、もっと人生が開けるかもしれませんよ。

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ココロセラピストが語る!?
『コミュニケーション・パターン』とは?