神社カフェ発信 タロットについて 10「吊るされた男・行」〜目をそらさず、示されているものをそのままに見つめる

日々、気になることや悩みというのは、必ず深い意味があります。 恐ろしいほどの輝きを放つ、気づきが必ずあるものなのです。

東京新宿区 高田馬場にある「占いカフェ 神々の森神社カフェ」からの、タロットカードについての発信です。
今回は「吊るされた男・行」です。

タロットカードは、15~16世紀のイタリアに突然現れた神秘のカード。
そして「神々の心のタロット」は神々の森神社カフェが発行しているタロットで、西洋のタロットと、日本の霊性に基づいたタロットがセットになっています。

タロットは、親しみやすそうな外見と裏腹に、使いこなすのは意外に難しかったりします。
その根源的な理由として、タロットはヨーロッパ文化の影響が大変大きいことがあります。
そのため、一度、人類の神話や精神性まで深掘りし、日本や世界の、普遍的な霊性、精神性からも考察することで、初めて掴めるのです。

 

―行のイメージ― 徹底した自己制御をあらわし、修行により、クリアにする

西洋のタロットの『吊るされた男』は神々の心のタロットでは『行』のカードにあたります。
行とは自己制御であり、修行という意味もあります。


【左:神々の心のタロット「行」 右:マルセイユタロット「吊るされた男」】

神々の心のタロット「行」の、「坎艮震巽離巽兌乾」は、国津祓と呼ばれる祓詞であり、明治以前までは、四方八方の地と心身を祓う言葉でした。この心身にこそ神聖さがあるということです。
「吊るされた男」は、古代キリスト教の柱状修行と呼ばれるものから来ているとの説など多説ありますが、自らの意思によりこうした姿になり、己を律する方向の意味合いです。

このカードの前の「力」のカードによる変容は、根源的な感性と繋がり、神々の力として現れてくるものでした。それに対し、行を行うのは自分の意思に基づいて、まず自分に対して行う、それこそが「修行」なのです。

 

死すら覚悟して臨む修行


【即身仏となられた 代受苦菩薩真如海上人 湯殿山総本山 滝水寺大日坊安置】

千日回峰行は、比叡山で行われている日本の修行で、密教と山岳修行が融合した、最も厳しい修行といわれています。7年をかけて千日間で約4万キロ(地球一周の距離とほぼ同じ)を歩き、終盤には『堂入り』として9日間の断食不眠を行います。
途中で体調が悪くなったり、実際に病気になっても、中断することはできず、その際には自ら命を絶つ覚悟で臨みます。


【凍てつくような冷たさの中に清らかさを感じさせる冬の川】

寒中禊は、日本全国で行われている神仏習合の修行で、神話の禊にならった修行です。厳しい冷たさや水の中で、心身が徹底して浄めるということを象徴している修行とも言えるでしょう。

 

所縁を放下して、ただ行に行を積むべし

修行の本質とは、何なのでしょうか。

禅宗に「所縁を放下して、ただ行に行を積むべし―全ての修行以外の繋がりや行いをすべて忘れ、ひたすら修行に集中せよ」という言葉があります。修行の要点は決して、自分を否定するということにはないと思います。

そうではなく、「自身の意思で直面する」ということを行い続けることにあります。
自己の否定でも肯定でもない。
そんなことはどうでもよい。ただ、直面し続けよ。目をそらすな。
そのために、自己を律する助けになるものとして、覚悟や厳しさが役に立つこともあるのです。


【国宝 慧可断臂図(えかだんぴず) 15世紀 京都国立博物館蔵】

直面し続ける中で、変容は必ず起こります。直面によって気づくのは、変わらないと思っていた物事の中に、実に様々な変化があるということです。
自分を物事に集中し、離さない状態にしていくと、日常が実は変化に満ち、自分自身に必ずメッセージを示していることに、とても鋭く気づいていけるのです。