僕の先祖が仕組んできた原初太陽族の神業が、この竹鳩という地区において実現されようとしていたのは、今からおおよそ20年ほど前、1996年(平成8年)からでした。
この頃の僕はまだちびっこ。
両親も信仰的なものとは無縁で、 周囲のそんな霊的な世界と縁の強かった人々の発見などにより、「千里さん(母)、これらの一連のメッセージには何かの意味があるのかもしれない」と噂となり、小丸川という川のほとりでちょっとした騒動になっていたのでした。
まず実家の一つに松浦の神功皇后が生霊を収めた、鏡山からはじまる末羅国。
魏志倭人伝ではっきりと登場する国です。
牛鬼退治伝説と台与(トヨ・淀姫)のいる桃川地区。
ここが僕たちの御本家でした。
桃川の本家と、分家である竹鳩は宮崎の児湯郡にあります。
児湯とは、天火明命が産まれた産湯があるから名付けられたといいます。
桃川は一時尾張名古屋の守山、八劒神社跡地に父母はうつり住んだといいます。
八剱神社には尾張氏が祀ったヤマトタケルと天火明、スサノヲが祀ってあります。
その地において、子宝に恵まれず二度も名古屋で流産を繰り返しながら、子供が何としてもほしいとこの地で神頼みを繰り返したそうです。でも子宝には恵まれず、宮崎に帰ってきた。
馬場原、舞鶴で暮らした後、佐賀県の徐福が上陸したという立花町で僕は生まれました。
この竹鳩という土地には、付近に「水神碑」という石碑があります。
その対岸にある水波女神とともに安徳天皇と八十八か所の四国お遍路のレプリカである高鍋大使があり、その古墳の中からは日本で2つしかない卑弥呼の景初4年の神獣鏡が出土していて、今現在は西宮市にあります。
同じモデルがもうひとつだけ、実は福知山市で出土しているのです。
富士の王、それは福智王
そしてこの竹鳩地区周辺沿いの神獣鏡は、わたしたちの先祖である福智王をまつる比木神社の天井絵画の竜神「双竜玉を争う、生き竜」と連動しているものだったのです。福智山と福智王。そして全く同じ型で制作された神獣鏡。