美しいバラの花はその姿を変え変身します。本当のバラの姿とは?〜自然はただ、本当の私に還ろうとしている。〜

自然は、本来の自分に戻りたがっています。 シンプルに、ただ素に還ろうとしています。

『自然は、本来の自分に戻りたがっています。シンプルにただ素に返ろうとします。』

初夏に庭を彩る主役は、何と言ってもバラの花です。
その種類は数千に及びます。

1867年以降、バラはたくさんの品種改良が行われてきました。
1年に1度咲くのではなく、もっと花が見たいと四季咲きが生まれ、
もっと濃い赤を、もっと柔らかなピンクを、もっと艶やかな濃いピンクを……と。
花を求める人々の情熱から、今に見るバラの多様性が生まれました。

そこから1867年以前のバラをオールドローズ(古代バラ)、1867年以降のバラをモダンローズ(現代バラ)と呼ぶようになりました。
花屋さんでバラを求める時のほとんどは、このモダンローズになります。
しかしながらモダンローズは改良を重ねた結果、本来のバラが持っていた香りを失ってしまったものがほとんどです。

そこで、今度は年に1度しか咲かないけれど香りの良いオールドローズと
四季咲きのモダンローズを掛け合わせてイングリッシュローズが生まれました。
姿はオールドローズのようでいて香りの良い四季咲きのバラです。
イングリッシュガーデンを語るにはこのイングリッシュローズは欠かせません。
実際、イングリッシュローズの華やかな雰囲気は豊かな気持ちにしてくれます。

バラを育てるのはとても手がかかるとはよく聞く話です。
いつ何をどのくらい与えて、いつどこをどのくらい選定するか!
ルールがあります。

そうして管理されてイングリッシュローズは毎年美しい花を咲かせます。
イギリス人の園芸家は本当によくやっています。
毎日の積み重ねの先に、美しい庭が存在します。

私たちがそうしたバラを求めて園芸店に行き買い求めるものは、
日本の各地に自生している元気いっぱいの野ばらをベースにして
継木で上の部分にイングリッシュローズの枝を取り付けたものの場合が多いのです。

それらはきちんと管理をするなら、それはイングリッシュローズとして存在し続けます。
ではきちんと管理をしなかったら???

数年後、それは野ばらになります。
去年までイングリッシュローズだったはずのバラが、ある年には野バラになっているのです。
それを先祖返りと呼びます。

改良されたバラは、手をかけて今ある状態を維持し続けるなら守られますが、
手をかけなければ、自然と元の姿に戻ります。
自然は、本来の自分に戻りたがっています。
シンプルにただ素に還ろうとします。

 

『「本来の私」は、努力して維持するものではありません。「本来の私」は、ただ自然にそうあるものです。』

私たちも同じです。
生きていく上で、いつしか私たちには様々な環境の中で培われた観念や、常識や反応が上書きされて、本来の自分ではない偽の自分を作り出しているとしたら⁉︎

私ではない私になって存在していたとしても、
いつしか自然は、本来の私に導いていきます。
手放すだけで、本来の自分に導かれていきます。

「本来の私」は、努力して維持するものではありません。
「本来の私」は、ただ自然にそうあるものです。
無理をして何かになろうと努力する姿には緊張がありますが、
あるがままの姿はとてもくつろぎを覚えます。

野山に自然に咲いている野ばらは、誰かが努力して咲かせているものではなく、
大地と太陽と風の中で、自然に生まれたものです。

梅雨に時期の自然界の成長ぶりには驚くものがあります。
植物は動かず、そこにじっとしている生き物と思われがちですが、
昨日とは違う姿がいたるところに見られます。
ビデオを設置していたら、動物のように動く姿が見られるはずです。

庭仕事をしていると気づかされることがたくさんあります。
宿根草は毎年、ほおっておいても出てくるものと考えますが、
それは自然の中でのことです。

品種改良されて生み出された宿根草は、きちんと意識を向けていなければ消えていなくなります。
そして、色や形などが改良されて生み出された新種の植物も、
きちんと意識を向けていなければ、色や形は改良される以前の姿に戻ってしまうものが多いことに気づきます。

自然は、本来の自分に戻りたがっています。
シンプルに、ただ素に還ろうとしています。

昨日、雨のすきまに庭仕事をしていて感じたことは、
頑張らなくていい、
誰かのようになろうと努力しなくていい、
ただ私でいようと思いました。

情報があふれている中で、
あれもできていない、これもしなければならない。
もうこんなに進んでいる人もいるのに、まだ自分はこんなところにいて、と。
そんな焦りに追われることもあるけれど、
自然は、逆のことを言っていました。
あなたでいればいいんだよ! と。

「本来の私」は、努力して維持するものではありません。
「本来の私」は、ただ自然にそうあるものです。

 

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