「私たちは、自分のこの身体の目を通してのみの世界の体験の仕方から、同時に、世界全体の中にいる自分と、世界全体を通して自分を体験する在り方に向かっています。」
DNAにはすべての情報が刻まれていて、DNAが1つあれば、人としての個体全体を作り出すことができます。
ホログラフもまた、すべてのパーツに全体が描かれ、パーツとして存在しながら全体像もそこに存在します。
私たちもまた、個としての自分、全体の中に存在する自分がいます。
個としての自分から見る世界と、全体の中に存在する自分から見る世界は違って見えます。
全体の中に存在する自分と、さらにはその全体から自分を見た世界と、それらが同時にある世界は、新しい世界がそこにあるように感じるでしょう。
この世界にはたくさんのものの見方があります。
どこから見るのか? 1点から見るのか? 3点から見るのか? 千の点から見るのか? では、世界が違うものになります。
ですが、そこにある世界はひとつのものです。
ひとつのものも点が違えば違うものに見えるのです。
私たちは、自分のこの身体の目を通してのみの世界の体験の仕方から、同時に、世界全体の中にいる自分と、世界全体を通して自分を体験する在り方に向かっています。
「1滴の水もまた、切っても切り離せない全体を写しています。」
ブッダの言葉に、こんな言葉があります。
「宇宙は蜘蛛の巣のように張り合わされた金の糸である。その糸は無数の宝石をつなぎ合わせていて、それぞれに施された多数の彫面のひとつひとつに、他のすべての石が放つ多彩な光が反射している」
自分のこの身体も細胞の寄せ集めではなく、60兆個ものすべての細胞が、ひとつの意思を持って、ひとつの個体を創造し、維持しています。
それぞれの細胞が何をしているのか? 60兆個のすべての細胞が知って活動しています。
海の水もまた、1滴1滴の水の寄せ集めでありながら、
それらは海として機能しています。
1滴の水が動けば、すべての水が動くことになります。
さっきまで雨の1滴だった水滴は、海に落ちた途端、海の一部となります。
波として海全体の中で動いていた水は、太陽の日差しで蒸気となり、
いつしか雲となって空中を飛び回っていても、
いつしか雨となり、大地を滑りながら川に流れ着き、
また海に帰ります。
1滴の水もまた、切っても切り離せない全体を写しています。
今目の前にあるモノも出来事も環境も、
それだけがそこにあることは不可能です。
すべてが繋がって、ひとつのものです。
どんなものも全体を写しています。
カオス理論でいうバタフライ効果というものがあります。
今かりにこの場所で、蝶が羽ばたいたとしたら、
その羽の微風は、遠い場所の気候に変化を与えるというものです。
日本でいうところの、風が吹けば桶屋が儲かるというものと似ているかもしれません。
風が吹くと桶屋が儲かるというのは、風が吹くと冷えによって、お年寄りなどの亡くなる人が増えるので、お葬式が増え、その結果、棺桶の需要が増えるというものです。
一見関係がないように見えることも、繋がっていることを意味しています。
ひとつはすべて! すべてはひとつ!
すべてが繋がって、ひとつのものです。
どんなものも全体を写しています。
私たちは、自分のこの身体の目を通してのみの世界の体験の仕方から、
同時に、世界全体の中にいる自分と、
世界全体を通して自分を体験する在り方に向かっています。
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