命は神の創造物〜創造するものではなく、与えられるもの〜

人間は、本当に素晴らしいモノを創造してきました。 しかし、そのモノは、それらが独自で活動を始めることがないものに限定されています。

「人間はまだ、たった一粒の植物の種も創り出すことが出来ません。」

科学の追求はどんどん奥へと進み、かつて想像できなかったほど、
この世界はテクノロジーであふれてきました。
今、こうして向かっているiPadも、声による入力や仕事をしてくれるらしい。(実は何年も使っているのに、この機能をまだ使ったことがないのですが)
こうして新幹線の中で、ネットで世界と繋がり、全国各地の人とやりとりができる。必要なものはこの場所でネットで買える。支払いもネット銀行から送金できる。

近所の歯医者さんは、取れた歯を目の前で作り出してくれる。四角い陶器の塊のようなものが、レンドゲンで映した3D立体図に合わせて目の前の水槽のような場所で、水が削って、みるみる間に完成します。

携帯から、家のお風呂のお湯はりをしたり、エアコンを付けたり。家の中の様子も確認できたりと、私たちの暮らしは便利を追求しています。

最近はロボットの開発が目覚ましく、さまざまな用途のロボットが開発されています。それらは宇宙空間までも飛び出しています。
人間の能力はどこまで開かれていくのでしょうか!

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「この世界にはもうひとつの創造があります。」

人間はさまざまなものを創り出してきました。
モノ、文化、建築物、都市、車、飛行機、ロケット……、
人間は、本当に素晴らしいモノを創造してきました。
しかし、そのモノは、それらが独自で活動を始めることがないものに限定されています。

この世界にはもうひとつの創造があります。
それは【命の創造】です。
人間はとんでもないものまで創り出すことができるけれど、
まだ、たった一粒の植物の種も創り出すことが出来ません。
たった一つの桜の花さえも、創り出すことが出来ないのです。

植物の種や桜の花は、そこに命が目覚めて、
太陽が、大地が、風が優しく彼らを育てていきます。
どれだけ科学が進んでも、人間はまだ、葉っぱ1枚でさえ創り出すことが出来ません。

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「命は創造するものではなく、与えられるものです。」

では、植物は誰が創造したのでしょう?
自ら活動し、意識をもって行きていくもの。
それは、植物であり、動物であり、私たち人間です。

命は創造するものではなく、与えられるものです。
命は、そこにただ開かれていくものです。
人間には出来ないこの創造をしている存在を、何と呼ぶのが相応しいのでしょうか?

山があって、川が流れ、川の流れは海に向かいます。
水は蒸発し、雨となって大地を潤し、地球上をくまなく循環しています。
植物は太陽からエネルギーを得て生き生きと成長します。
植物の成長に風は不可欠です。風によって植物はたくさんの情報を得ていきます。
こうした自然界の活動は、自然に起きているのでしょうか?

大気圏の中は、数億年ものあいだずっと変わることなく酸素濃度が保たれています。この完璧な調和はどうやって起きているのでしょうか?

相応しい呼び名があれば、それに置き換えたいと思いますが、
今は、世界にあるすべての言葉のなかから、最も相応しい言葉を見つけるとしたら、命を創造するのは神と呼べるのだと思います。

モノを創造しているのは人間です。
命を創造しているのは神です。

今は新幹線の移動中。
車窓から大地を眺めるのがとても好きです。
この大地を、自然を、森を、人間が創造することは出来ません。
風景の中の道路や建物や、塔や橋……、
この世界は、神と人間の共同作業で出来ています。

人間は、種を植えて育てることが出来ます。
でもまだ、たった一粒の植物の種も創り出すことは出来ないのです。
モノと命の調和した姿とは?

自然とバランスのとれる生き方をしていきたいと、
車窓を眺めながら思っています。

 

《高見澤 幸子さんの記事一覧はコチラ》
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