「痛みの記憶を持ち続けていませんか?」
例えば、旅行に行こうと計画を立てながら、具合が悪くなったら嫌だなぁなどと考えてしまうことがあると思います。
楽しい計画に没頭する以前に、お腹は大丈夫かな、寒くて風邪引かないかな? などと。
実際、かつて経験した旅行を思い出す時、あの時お腹を壊して辛かった、頭が痛くなってしんどかったと、最初に思い出しませんか? 身体の痛みは物質的に感じ、明らかな場所があるため、記憶がされやすいのです。
旅行中の美しい光景よりも先に、そうした思い出が出てくることがあなたにもあると思います。または、恥ずかしい経験をしたとか、ひどく疲れただとか。
次に、「あなたの小学校時代の思い出をひとつ、今浮かんだものを話してね」と尋ねると、「友達に仲間はずれにされて悲しかった」、「修学旅行の直前に怪我をして行けなかった」、「隣の席の男の子がいじわるした」などなど。
なぜか、痛みの記憶が飛び出す人がたくさんいます。
楽しかった思い出もたくさんあるはずなのに。ここで言う痛みとは、体のどこか場所ではないのですが、心に感じた痛みのことです。
「運動会はどうだった?」と尋ねると
「あ? かけっこで転んだんだよね、擦りむいて痛かったな。」
「惜しいところで1番を逃して悔しかった」
「友達がズルして頭にきた」などと。
お弁当を食べて、みんなでわいわい応援したりと楽しい思い出もあるはずです。
ところが、最初に出てくるのは痛みの記憶が多いのです。ここでは、身体と心のどちらもあります。
「高校時代は? 」「初めてのバイトは? 」「初めての仕事は? 」
ほとんどの人が、最初にぽんと飛び出すものが痛みの記憶です。失敗して落ち込んだとか、怒られてがっかりしたとか。先生が苦手だったとか。
たくさんの思い出の中で、果たして痛みの記憶はそれほどたくさんあったのでしょうか? 楽しかった思い出もいっぱいあるはずです。それなら、なぜ人は痛みの記憶が最初にでてくるのでしょうか?
あなたも、痛みの記憶を持ち続けていませんか?
「思いはエネルギー、波動です。」
何かをみて、わくわくするあの感覚!
素敵なことがあって、うわあと心が舞う感覚!
あーーっ楽しいという心躍る感覚!
それらはどれも軽やかです。つかみどころのない浮きあがるような感覚です。後で思い出そうとしても、軽やかすぎて思い出すのは簡単ではありません。しっかり状況を思い出してみてから、やっと、あぁそうだった、嬉しかったなぁと思い出せます。
では、痛みの記憶はどうでしょう?
痛みはとても分かりやすい感覚です。頭痛、腹痛と思っただけで、すぐに思い出せます。
同時に、嫌だなあ、苦しいなあという反応も思い出せます。仲間はずれ、無視されたなどと思うことも、過去に心に感じたことがすぐに蘇ります。
痛みはわかりやすい、はっきりとした感覚なのに対し、心に現れる「わくわく、嬉しい、楽しい」といった感覚は本当に軽くて、はっきりとした感覚ではありません。足や腕が痛いといったように特定の体の部位もないのです。
思いはエネルギー、波動です。
「わくわく、嬉しい、楽しい」も「苦しい、しんどい」も同じ、形はなく触れることもできないエネルギーです。ただ、苦しい、しんどいには、重さがあります。