ほんとうに恐ろしいヤマタノオロチの物語

西暦668年、草薙剣が新羅の僧によって熱田から持ち出されました。 けれども、逃げる船が難破し戻されたという事件が起こります。

イワナガヒメは「雪が降っても、風が吹いても、岩のように永遠に硬く動じない不変のイノチ」の象徴と古事記には説明されています。
常に縁の下の力持ちであり続けるのです。

次にハヤコオロチの生みだした叢雲剣が姿を現すのは、1000年近い年月を経た後でした。

 

天叢雲剣が熱田神宮に祀られた経緯

景行天皇の御代、国に背く者があちこちに出てきます。
ヤマトタケルは命を受けて九州の熊襲(くまそ)を撃退し、取って返して関東地方へと平定に向かいます。
その時に預かったものは、むかしスサノオが出雲国を建国した剣—叢雲剣でした。

ゆく道々、謀反を起こす者も出て火を放たれたヤマトタケルは、叢雲剣によって周囲の草を薙ぎ助かります。
その時から天叢雲剣は草薙剣とも呼ばれるようになりました。

結果関東を平定したヤマトタケルは、得意絶頂で尾張まで戻り美しいミヤヅヒメの前で酔いしれ、草薙剣をあなどる言葉を漏らしたのかもしれません。
熱田に残る一説に「ヤマトタケルが剣を持とうとしたとき光り輝いて手に取ることができなかった」というものがあります。
「国を開く剣」が持つ人を選んだという事でしょうか。
それとも……?

丸腰でイブキ神と対峙し失敗したヤマトタケルは、病に倒れてしまいます。
そして帰還途中で草薙剣の名を呼びながら息を引き取ります。

手元に残された、夫の形見の草薙剣をミヤヅヒメは尾張熱田にお祀りしました。

 

尾張に引き寄せられる神剣・草薙剣

西暦668年、草薙剣が新羅の僧によって熱田から持ち出されました。
けれども、逃げる船が難破し戻されたという事件が起こります。
その後第40代天武天皇が病に倒れた理由が草薙剣であるとのご神託により686年に熱田神宮に戻されました。
この時熱田に八剣宮が奉斎されたとされます。

 

神となったヤマタノオロチ

剣が熱田に返還されたその夜のこと。
現在の天理市にある石上神宮神主の夢に神剣と八つの竜が現れます。
ご神託によれば「我は尾張の女が祀る神」でありここに天降り後皇孫と民を守るといいました。
これが石上神宮に鎮座する出雲健雄神といい、草薙剣の荒魂としています。

また、天理市の八剣神社の由緒には「神代のむかし素盞男尊八岐大蛇を退治したまいき 大蛇は身を変え 天に昇り神剱となって布留川の上流八箇岩に天降りしを水雷神とあがめ貞観年間にこの地に氏神として斎られた。」とあり石上神宮の伝承と重なります。
ご祭神を八剱神(やつるぎのかみ)としています。

ヤマタノオロチ=八剣神=草薙剣(叢雲剣)の荒魂
であると推定できます。

八剣神は全国の八剣神社に今も控えめに祀られています。
ただ、ご祭神はスサノオかヤマトタケルであることが多いようです。

 

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