宗像三女神の母、ハヤコは姉のモチコもろともに宇佐の奥宮に入りました。
モチコとハヤコをこのような境遇に追い込んだセオリツヒメホノコへの恨みを募らせながら。
スサノオ待ちの大元八坂神社
しかし、ハヤコの恨みは姉とは少し違っていました。
第一皇子でありながら息子は皇太子に選ばれず、後ろ盾になるはずの自分がこんなところに追いやられた、嵌められたとホノコへのギリギリする歯噛み憎しみに復讐心をたぎらせていたモチコでした。
しかし、ハヤコにはホノコに復讐することなどどうでもよかったのです。
ハヤコはスサノオと天下をとりたかったのです。
だから、スサノオがいつここへやってきてもいいように宮を建てさせました。
スサノオが旗揚げする時のために、反対勢力をまとめよう。
天下をとるのだ、この越の女と熊野の皇子とで、と。
スサノオ恋しで祀られた宮が大元八坂神社なのではないのか……と。
けれども、スサノオ自身が大元八坂神社を訪れることはありませんでした。
なぜなら、タカマではある事件が勃発していたからです。
スサノオがタカマで暴れ、人が死んだというのです。
死んだのはあの憎いホノコの妹のワカヒメハナコだということでした。
神秤(かみはかり)にはかられてスサノオがいよいよ死刑になるところを、妹を殺されたホノコ自身の嘆願で免れはしたが、刺青をいれられて爪を剥がされ、とうとうタカマから追放されてしまったのでした。
罪人となったからには、厳重に守られた三女神のそばには、そう簡単により付けるはずはないのです。
だからサスラオとなったスサノオは大元八坂神社には入らなかったと考えます。
母ハヤコに捨てられた宗像三女神
そんな知らせを受けて、いてもたってもいられないハヤコの耳元へ囁きかける者がおりました。
筑紫をまとめるムナカタ氏ら海運・造船系氏族とは袂を分かとうとする勢力が、落ちぶれても天皇の元妃であるモチコ・ハヤコを担ぎ上げようと動きだしたのです。
ハヤコにとっては渡りに船でした。
しかし元妃二人の出奔計画が進むにつれ、姉のモチコはそわそわし始めました。
もともとモチコはホノコへの個人的な恨みがあっただけだったわけです。
けれどハヤコがやろうとしていることは政治的な謀反です。
タカマを畏れたモチコは、そこで、と提案しました。
自分がおとりになり沖ノ島へタケコ(タギリヒメ)を連れていく御幸を計画しよう。
その途中でハヤコは逃げればいいと。
モチコとハヤコはタギリヒメを連れてムナカタの船で沖ノ島へと御幸します。
航行途中でハヤコのみを味方の船に逃しました。それが、モチコとハヤコとの今生の別れになったのでしょう。
モチコと別れたハヤコはスサノヲを御旗に立てる蜂起軍の根城へとひとり向かったのでした。
腹を痛めて産んだ、三女神を捨てて。
女大蛇ハヤコが根城、大牟田彌剱神社
大牟田で毎年7月大蛇山祭りがあります。
三池本町祇園宮、彌剱神社、本宮彌剱神社、大牟田神社、三区八劍神社、諏訪神社から繰り出す大蛇の山車が勇壮なお祭りです。
中でも特にこの祭りの起源とされる彌剱神社(やつるぎじんじゃ)は女大蛇で三角牙と頭の一つコブという伝説の大蛇が繰り出されるといいます。
大牟田に”ヤツルギ”と名づく神社は地図上で見る限り長崎も入れて9社になります。
由緒を見ると京都祇園から勧請し、ご祭神はスサノオです。
世をさすらう様になったスサノオは、大牟田の地に迎えられたのだと考えられます。