日本三景レイライン、厳島神社奥宮 御山神社
松島、天橋立、そしてこの厳島神社は日本三景と讃えられる景勝地で、1直線上に結ばれるレイライン上にあります。
世にも美しい海に浮かぶ鳥居や社は人の心をとらえて離さず、世界文化遺産として世界に紹介されました。
厳島神社は「神に斎(いつ)き祀る島」という語源があるように、三女神の、神へのいつくしみが称えられている日本でも有数のパワースポットです。
だからこそ、平清盛をはじめとする時の権力者によって崇敬を受けて現在に至っています。
この厳島神社にも地御前神社(外宮 じごぜんじんじゃ)、厳島神社(内宮)、御山神社(奥宮 みやまじんじゃ)という三宮があり、それぞれに宗像三女神が祀られています。
奥宮である御山神社に登拝すると眼下の海にピラミッドのような小黒神島(こくろかみしま)が現れ、ここが特別な場だとわかります。
空海が修行の場とし、山の名を弥山(みせん)としたのです。
厳島神社に伝わる物語
宗像大社に残る社伝から、イチキシマヒメが安芸に遷座したということがわかっています。
遷座した理由を、広島の民話ではこのように伝えています。
その昔、二歳になる娘がヒメにはおりました。
ところが、目の中に入れても痛くないほど可愛がっていた娘がある日忽然と姿を消してしまいます。いくら探しても見つからず、ヒメは悲嘆にくれたそうです。
また、雉(きじ)が蛇をかみ殺すのをみたことがありました。
それから雉の啼く声を聴くと無性に悲しくなるのでした。
ヒメは雉から逃れるように安住の地を求めて、遍歴の旅に出られたのでした。
その後、ヒメは定住地を求めて現在瀬戸内海に浮かぶ生口島(いくちじま)にまず鎮座しました。
しかし、蚊があまりにも多くて、大崎島神峰山(かんのみねやま)に移りました。
神峰山をいたく気に入ったヒメでしたが、雉が頭の上でフンを垂れたので、またしても山を降りることになりました。
雉がいるところにはそもそもいられないヒメでした。
そして、大竹市大竹浦から厳島を見て気に入り、鎮座地が定まったということです。
今も厳島神社にのこる七浦めぐりのご神事は、ヒメが厳島に鎮座する前の禊祓い(みそぎばらい)を神ならいしてのことだと言います。
民話がおしえるイチキシマヒメの秘密
雉を嫌っていることを民話では再三にわたり伝えられます。
ヒメが雉を嫌ったのは、雉が蛇を殺したからです。
古代、雉とは伝令を意味します。
蛇の古語は「はは」といいます。
面白いことに分析心理学などの夢診断では蛇は「グレートマザー」のシンボルなのです。
「雉が蛇を殺した」とは「天からの伝令がハハを殺した」とも言いかえられるのです。
しかし、三女神の母が誰なのか、そのあたりのことは古事記・日本書記では「神話」のベールに包まれて、よくわからないのです。
イチキシマヒメが“世界の中心”に鎮座する意味とは
蛇を殺した雉が、今度はヒメの頭にフンを落とすとはどういう事でしょうか。
伝令にヒメが、頭ごなしに叱られでもしたのでしょうか。
伝令とは「天からの伝令」であることが多いのです。
そんなことがあって、ヒメは気に入っていた神峰山(かんのみねやま)を降りて、厳島の弥山(みせん)へと向かうこととなったわけです。
弥山とは、インド神話に登場するスメール山(須弥山)になぞらえて空海が名付けたものだそうです。
スメール山は世界の中心にそびえる山なのです。
スメール山の宇宙観では、地底ともつながる場だと言われています。
宇宙と地底のエネルギーを集める機能があるのです。
イチキシマヒメが弥山に鎮座することは、世の中を統べるスメラギのご神事を行うためだと考えられます。
スメールの語源はスメラギ、皇なのです。
イチキシマヒメの哀しみの大元を手繰る
もちろんヒメの時代からはずっと後のことですが、空海が“世界の中心”の名を付けたのは、厳島の山が相当強いパワースポットである証拠ともいえます。
ヒメが本来鎮座する場所が弥山であることを教えるための雉のフン爆弾だったわけです。
厳島神社には、イチキシマヒメに神託が降り厳島に鎮座したと伝わっています。
ご修業を積んで斎主になったとはいえ、そこにたどり着くには島々を巡る“禊(みそぎ)”がヒメには必要でした。
その理由は「雉に殺された蛇」や「2歳で生き別れた母子」のものがたりがカギを握っているように思います。
二つのキーワードについて、次なる竹生島のものがたりがヒントになるかもしれません。
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