≪「ゆだねる」ことに対する誤解 ≫
ゆだねることが大切だということはよく言われますが、わたしたちにはゆだねられないときが大いにあるので、今回はこのことについて深めてみたいと思います。
この「ゆだねる」というのは、じっとしているということを意味するのではないし、何か期待するようなことが起きるのを待つことでもないのですが、たとえば「新月のお願いごと」を紙に書いて祈り、こうなってほしいと思い描いていることが現実になるまで待っているというようなことを、「ゆだねる」ことだと思っている人が多いようです。
あるいは、「今年はこれから変化があるような気がするんですよね、ゆだねてみます」というようなことを、何もせず数ヶ月にわたって言い続けているといったケースもあります。
これはゆだねているのではなく、怠惰に過ごしているだけだと言えます。むろん、がむしゃらに何かをすればよいということではないし、よく「頑張らなくていい」と言われることは、たしかにそうなのだけれども、「今」するべきことから逃げて先延ばしにすることの口実として「ゆだねます」と言うことには非常に無理があります。
「ゆだねる」というのは、魔法使いが現れて、自分の人生を杖の一振りで変えてくれるその日を待つということではないし、何かが自分のなかに入って手足を動かし、夢を実現させてくれる状態になることを期待することではないのです。
≪ 動かさずに動く ≫
「ゆだねる」というのは、人生をコントロールしようとすることを放棄することであって、わたしにはとても能動的なことのように思えます。
思い通りの人生になっていくように、そのチャンスが来るように祈ったり待ったりすることが「ゆだねる」ということなのではなく、人生を思い通りにしようとすることをやめて明け渡す積極性を持つこと、そしてそこで与えられたガイダンスに従って行動することが「ゆだねる」ということなのではないでしょうか。
「動かさない」ことと、「動かない」ことは別なのです。「ゆだねる」というのは、「動かさずに動くこと」と言えるかもしれません。エゴの声に従うのではなく、ハイヤーセルフの声(直感、ひらめき、うすうすわかっていること)に従う。そのほうがずっとスムーズで、平和で、想像以上のギフトを受け取ることができます。
≪「ゆだねる」準備 ≫
怖れに満ちた心は、動かさずにはいられません。言われたら言い返さなければ気が済まないし、やりたいことができずにいれば是が非でも実現させようとし、相手が納得しなければ説き伏せ、失敗すれば言い訳をして自分を守らずにはいられない。
無防備でいるというのは、わたしたちにとってとても難しいことのように思えますが、「ゆだねる」というのは無防備でいなければできないことです。
つまり「ゆだねる」には「準備」が必要で、無防備でいられるように、ハイヤーセルフの声に耳を傾けることができるようにならなくてはならないと言えるでしょう。
そのためには、自分のなかにあれこれと湧いて出た不要な思い、誤った考えを潔く手放していくこと、自分はわかっている、自分は正しいという見方を捨てることが欠かせません。
「ゆだねる」というのは「ガイダンスにのみ従う」ということ。
そのあり方がいつどの瞬間にもキープできるように、心をそこに向け続けたい、それだけを選択したいと思います。
たとえゆだねられずに動かそうとしてまったとしても、そのような自分を責めず、何度でも選び直すこと、そこに意欲を持つことを忘れないでいたいものです。
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