末吉愛の「あなた本来の輝きを呼び覚ます ワクワク☆ミラクル自己実現メソッド」 PART.33 〜「やりたいこと」と「やるべきこと」〜

「お告げ」というのは、やることをやっている人、正直に生きている人のところに来るのであって、「正解」や「保証」がなければ動かないといったスタンスの人のところには来ないことでしょう。

 

≪ 矛盾した思い ≫

「やりたいことをやっていきましょう」と言われたから、「やりたいこと」をやりたいって思ってるのに、モニターを募ってトレーニングしたり、ブログを書いたりするのが大事と言われても、そういうのはわたしには向いていない気がするし、人に声かけたり文章書いたりって難しいじゃないですか。
それが「やりたいこと」かって考えたら、そうじゃないんですよね。義務みたいに思えてしんどくて。
どうしてそこまでやらなくちゃいけないんだろうって思えてくるんですよね。「やりたい」って気持ちがだんだん減ってきて、「やらなきゃ」って思うようになったのがつらくて。

こういった考えを持つ人は少なくないようです。

けれどもこれは、たとえば「おいしいカレーを作れるようになりたい」と言っておきながら、「ではジャガイモを洗ってください」、「そのニンジンの皮をむいてください」と言われたとたん、「わたしのやりたいことはジャガイモを洗うとか、ニンジンの皮をむくことじゃないんです。義務みたいに押し付けられるのは嫌です」と言っているのと同じくらい奇妙なことです。
こんなことを言っている人がいたとしたら、おかしいと思うはずなのに、仕事や生き方に関することになると、こういうまったく筋の通っていない考えがさももっともなことであるかのように言えてしまうのが、エゴ(自我)のやっかいなところです。

 

≪「やりたいこと」は「やるべきこと」≫

「やりたいこと」を「やる」と選んだなら、それは自分にとって「やるべきこと」になるのです。
「やる」と決めた自分の責任をとるつもりがないから、ゴールにたどり着くまでの、多くの「やるべきこと」を受け入れられないし、「やらされていること」に思えてくるのでしょう。

けれども「やるべきこと」は「やりたいこと」につながっているのだし、それを大いに楽しみながらやればいいのです。
苦手なことに取り組まざるを得ない状況を、「わたしってかわいそう」と思い嘆くのではなく、「なかなかこれもおもしろい経験だな」と受け入れて、できるところから少しずつやってみればいいし、全部を一人でやろうとせずに助けてもらえばいいのです。

好きなことをして生きていく。それは本当にできることですが、それは、目の前の「やるべきこと」をただ淡々とやること、自分の弱さをしっかり受け入れていくこと——自分の力には限界があり、エゴの思いで進むことに意味はないと認めること——で可能となる生き方なのだと思います。
しっかりと認めていれば、期待しなくても「お告げ」が自然とやってくるし、人智を超えたその「真の計画」にゆだねることで、ギフトを何度でも受け取ることができるのです。

やりたいことを、とことんやってみましょう。

 

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