すべての欲望は清く美しいものであると説く、理趣経に秘められた深い叡智

言葉で説明するのは、なかなか難しい概念ですが、弘法大師空海が大切にしていたというだけあって、『理趣経』には「一読するだけでも引き込まれる魅力があります」ので、興味をもった方は、是非、WEBなどで内容をチェックしてみてください。

【膨大な種類があるお経】

仏教には、現在、様々な「宗派」が存在しています。日本人にとって最もポピュラーなお経といえる『般若心経』のように、様々な宗派が採用しているものもあれば、特定の宗派でしか唱えられないものもあります。

お経とは、「仏教の教えを説いたもの」です。キリスト教の『聖書』やイスラム教の『コーラン』と同一視することもありますが、『聖書』や『コーラン』がある程度の定型を維持しており、規範ともいえる「聖典」であるのに比べると、お経の数は膨大であり、解釈も様々であるために、宗派の聖典というのは、ちょっと語弊があるかもしれません。

前述した「般若心経」は600巻にも及ぶ「大般若経」のエッセンスをまとめたものですし、多くの宗派が重要視する「法華経」も、八巻の中から特に重要な部分を抜き出した部分を日常的に唱えたりするというように、宗派毎に重要視するものも違いますし、唱え方なども違いがあります。

 

【お経は現世利益をもたらす】

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基本的にお経は、仏の教えなのですが、唱えることで「功徳」、すなわち「御利益がある」ということを明確にうたっているものもあります。仏教の御利益で最も重要なものは「悟りを得る」ことですが、「病気平癒や収入増加」などの現世利益をもたらしてくれるとして、おまじない的に唱えられたものも存在しています。

本来は教えであるわけですので、それを唱えることで御利益があるというのは、仏教の根本からは外れてしまうわけであり、僧侶はこのような使い方をするのを表向きは止めていたようですが、古い時代の僧侶が、病気平癒などにたびたび呼び出されていたことを考えると、お経がおなじない的なものとして捉えられるのもの当然といえるかもしれません。

 

【最も御利益があるという理趣経】

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そんな中でも、とくに御利益があり、そのお経が唱えられているのを聞くだけで風邪を引かなくなるといわれているお経があります。それが『理趣経』。こちらのお経は、「真言宗」で重要視され、現在でも唱えられているものです。

この経典は、真言宗の開祖である「弘法大師空海」が重要視していたものであり、天台宗の開祖である「最澄」から、理趣経を解説した経典を借りたいという申し出があったときに、「実践が足りない人間には貸すことが出来ないといって断った」という逸話も残っているほどです。

それだけ重要なお経なのですが、こちらには一般的にイメージされる「仏教」とはかけ離れた内容が書かれていることでも有名です。仏教といえば厳しい戒律があり、僧侶は妻帯しない、また、肉類を食べないというイメージがあります。現代では、ここまで厳密ではありませんが、「禁欲的な存在」というイメージがあるでしょう。

 

【男女の交わりも、愛欲もすべてが清い】

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しかしながら、『理趣経』では「男女が抱き合うのも、誰かを強く想うのも、男女が交わり快感を得るのも、すべてが菩薩の境地」だと説きます。これらの欲望はすべて「清浄」だというのです。

仏教徒でなくとも、明治時代以降にキリスト教的な貞操観念が入ってきてからは、日本人は性的なものに関して、穢れとして捉えることが多いのですが、それらは穢れではなく、すべてが清浄であると『理趣経』は、遙か昔から説いているのです。。

『理趣経』はこの部分がインパクトがあるために、男女の性愛だけを肯定しているように思えますが、実は、自慢する心、コレクションすることや、五感を楽しませることなど、すなわち「趣味や遊び、見栄を張ることすらすべてが清浄である」としています。

 

【自己中心的になるのではなく、自分を愛し肯定する】

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とてもインパクトがある内容ですので、一歩間違うと、「なにをしてもOKという考え方になりがち」ということもあり、『理趣経』を使った行法は、しっかりとした修行を積んだ人しか許可されませんでした。欲望を肯定するというのは、とても大事な反面、諸刃の剣でもあります。時として、「自己中心的」になってしまうことが多く、そうなってしまうと当然ながら清浄でなく、菩薩の境地でもありません。

さすがに、自己中心性を肥大化させるような宗派はうまれませんでしたが、『理趣経』をストレートに受け取り、「男女の交わりを通して悟りを得る」という宗派が生まれたりもしたことを考えても、『理趣経』が伝授される人を選ぶお経だということに違いはないといえるでしょう。

スピリチュアルな世界には、「自分を愛する」というコンセプトがあります。これは「自分を肯定し、自分を大切にする、自分を信じることができるとで、世界は変わり、周りへも愛を広められる」というようなものですが、『理趣経』が欲望をすべて肯定しているというのは、これと非常に似通ったものだといえるでしょう。

どんなにどろどろした感情であっても、それが他の人からは眉をひそめられるようなものだとしても、「自分の内側から出てきた感情や行動はすべて肯定し、そして、そんな自分を認めた先にこそ、より自由で他者を深く愛する世界が得られる」というわけです。

言葉で説明するのは、なかなか難しい概念ですが、弘法大師空海が大切にしていたというだけあって、『理趣経』には「一読するだけでも引き込まれる魅力があります」ので、興味をもった方は、是非、WEBなどで内容をチェックしてみてください。そうして、欲望というものに真っ正面から向き合ってみることができれば、今抱えている悩みを解消したり、時として「自分自身」の存在すら変わるかもしれません。

 

Mystery of “Risyukyo”.
All desire precious thing.

 

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