感情美人への道Vol.32 ~「体罰」と「しつけ」の違い〜Difference Between Discipline and Corporal Punishment

「体罰」は大人本位の行為。 「しつけ」の主人公はあくまで子供でなければなりません。本当に子供の可能性を開きたい、間違いを更正させたいと思ったら暴力に訴えたら絶対にいけないのです。

 

子供に言う事を聞かせるのに、体罰は必要なのでしょうか?

今週は、愛媛県の中学校で起きた体罰問題が大きく報道されていました。

概要は、”中学1年の男子生徒が放課後教室でふざけていた所、担任教師がそれに激怒。
トイレに引っ張り込んで、個室の鍵をかけて20分に渡り暴行。ほっぺたをギューっとつねって平手で20発ほど殴る、頭突き、壁に頭を打ち付けるといった暴行の他、耳をつまんで「殺したろうか? この耳聞こえんようにしてやろうか? 」といった暴言を吐いた”というものです。

私が子供の頃よりはよほど体罰がなくなったと思いますが、いまだに上記のような体罰をする教師がいて、中には「しつけのために体罰は必要」と考える人がいるのも事実。

例えば「体罰は必要」というワードでググってみると、びっくりするくらい体罰を肯定するサイトが出て来ます。
今は少し低くなっていると思いますが、2000年の調査では、米国でさえ、61%のアメリカ人が体罰は必要だと答えています。

 

体罰を肯定する人は、「しつけ」の意味を勘違いしているのでしょう。

しつけは子供を大人の思う通りに行動させることではありません。これは動物に行うものです。
しつけは、子供が『自律』できるようにするものです。

体罰は子供を自律させるどころか、数々のマイナス面が生まれることが発達心理学の研究で分かっています。

以下、体罰のいくつかの問題点を書いておきます。

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①体罰は「子供のため」でなく、単なる「大人の感情のはけ口」である

体罰をする大人は、怒りの下に様々なストレス、不安などのネガティブな感情を抱えていて、ちょっとした刺激で怒りが爆発します。
子供の問題でなく、大人である自分の問題である事に気付いていません。

 

②体罰には「即効性」があるように見えるが、実は問題の解決が遠のく

自分より身体が大きく、立場が上の親や教師に叩かれれば、とりあえず子供は謝ります。
でもそれは心から悪いと思っている訳ではなくて、早くこの恐怖から逃げたいと思って謝っているのです。また、体罰をする人の前で悪い事をしなくても、他の人の前では同じことをするでしょう。

もっと悪いことに、「黙らせたいときは暴力を振るってもいいんだ」と間違った認識を子供に与えてしまいます。
更に悪いことに、『暴力に訴える→子供はおとなしくなる→「体罰をすれば子供が言うことを聞く」と勘違いする→子供が悪いことをする→また体罰をして言うことを聞かせる』という風に、表面的な子供の様子だけをみて大人は間違ったルーティーンを繰り返すことになります。