皆さまこんにちは!
ヒーリングアーティストReina(れいな)です。
とうとう明日は「ひなまつり」ですね。
ひなまつりは桃の節句。
前回より、昔から不思議なパワーを持つと言われている『桃』をテーマに書かせて頂いております。
桃の実は、古来より邪気を払い不老長寿をもたらす果物とされており、古代中国では仙人の果物「仙果」として、神聖な果物と考えられていたそうです。
前回は、『古代桃のエネルギーを乗せたピアノヒーリングと、桃の持つ不思議なパワーについて』、今回の続編では 『ひなまつりと桃の起源や謂れ』について書かせて頂きます。
前回は、桃パワーをピアノヒーリングに乗せて奏でてみましたよ。
『REINAのピアノヒーリング ~ 桃源郷 ~』
どんな邪気や厄も光に変える不老不死の仙果の果樹園
<邪気払いと長寿のパワーを持つ古代桃>
は、前回の記事
魂を癒す『REINAのピアノヒーリング』Vol.7 ~ 桃源郷 ~
< 邪気払いと長寿のパワーを持つ古代桃 >
https://www.el-aura.com/reina7/
よりご覧くださいね。
動画にてお家でお楽しみいただけます。
今回は、なぜひなまつりは桃の節句なのか?
ひなまつりや桃の節句はどこから来たのか?
そんな事を書いてます。
ひなまつりでは桃の無病息災のパワーをしっかりと頂いて、本格的な春をお迎えくださいね!
【 桃の謂れ 】
「桃」の起源を辿っていくと、まだ分からない事が沢山あるようなのですが、モモの原産地は中国西北部の黄河上流だそうです。
ですが、古くから日本にも自生していたようです。
桃は古くから種や葉まで薬効がある事を知られていて、中国と日本のどちらの国でも不老長寿のシンボルとされています。
前回も書きましたが、西洋では「リンゴ」が生命の果実として扱われているけれど、東洋では「桃」が生命の果実のようです。
リンゴは「1日1個で医者いらず」と言われていますが、桃も負けず劣らずパワフルなフルーツでしたよ。
植物学的にはバラ科の落葉高木、アーモンドの親戚でアーモンドと同様に野性種。
誕生したての頃の桃の実は、硬い果肉で表面がたくさんの毛で覆われていたので「毛毛(モモ)」と名付けられていたようです。
『万葉集』のモモを詠んだ歌でも、「毛桃」(けもも)と表記されています。
日本で確認されている最古のモモの種は、長崎県にある縄文時代晩期の伊木力(いきりき)遺跡から見つかっています。
弥生時代の古墳からもモモの種が発見されていますが、この時代のモモは、現在のスモモやウメほどの大きさしかなく、『コダイモモ』と呼ばれています。
現在私達が口にしている桃はコダイモモの流れではなく、明治初期に中国から導入された「水蜜桃」という桃が原種になった、栽培品種からの流れなのだそうです。
野生の桃はあまり美味しいものではなかったようで、どちらかと言うと鑑賞や薬用として、そして遺跡で大量の桃の種が発見されている事などから、祭祀にも使われていたのでは……、と言われています。
昔から邪気の象徴は『鬼』とされており、節分には『鬼』を祓います。
そして、邪気を祓う力のある桃にも鬼を退治する力があると考えられていたようで、節分に桃の木を使って邪気祓いをする神事もあるのだそうです。
平安時代には、鬼を追うための桃弓や桃杖が使われ、正月には桃の木片で卯槌(うづち)というお守りが作られていたそうですよ。
この思想がベースとなり室町中期頃に、桃から生まれた桃太郎が鬼退治をする民話が誕生したというのも、前回書きましたね。
古代では、桃の持つパワーの方を活用していたようですね。
【 現代の桃 】
現代は、桃の持つ霊力ではなく、美味しい果実として楽しまれていますね。
果実としての桃の流れは……と言うと、記録がはっきりしていない部分もあるようなのですが、「水蜜桃」から岡山県で日本の桃の元祖「白桃」が生まれ、その後神奈川県で白桃を親に「白鳳」が誕生し……。
と言うように、地方地方で品種改良を重ねどんどん新しい品種が登場し、現在ではものすごい種類の桃が生産されているようです。
「白桃」は皮も実も白っぽい桃で、「白鳳」は桃の王様と言われている人気の桃。
現在もっとも多く栽培されている「あかつき」は「白桃」と「白鳳」を交配させたもの。
つまり、日本で食べられている桃を辿ると、「水蜜桃」からの流れの「白桃」「白鳳」から誕生しているようですよ。
現在でもこの品種改良は続けられていますので、もっともっと美味しい桃がこれから誕生するのかもしれませんね。
【 ひなまつりの歴史 】
ひなまつり(桃の節句)の起源は、平安時代まで遡るとされます。
その頃の人々は、三月の初めの巳の日に、上巳(じょうし、じょうみ)の節句といって、季節の食物を供え、人形(ひとがた)に自分の災厄を托して海や川に流し、陰陽師が天地の神に祈るような、無病息災を願う祓いの行事をしていたそうです。
この頃は、まだ女の子のための行事ではなく、老若男女皆で行っていたようですよ。
上巳の節句は、300年頃の古代中国から伝わったものだそうです。
季節の節目の邪気祓いと、皆の幸福を願う行事「上巳節」を遣唐使が日本に伝えた事から広まったと言われています。
日本にも、似たような思想があったところから、日本独自の文化として定着していったようですね。
当時は祓いの行事でありましたが、この頃上流の少女たちの間では「ひいな遊び」という、紙などで作った人形と、御殿や身の回りの道具をまねた玩具で遊ぶ「ままごと」のような遊びが行われていたそうです。
江戸時代になり、この「ひいな遊び」と節物の「節句の儀式」とが結びついて全国に広まっていくようです。
そして、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味合いが強くなり、「流しびな」が「守りびな」となります。
段々と武家子女など、身分の高い女性の嫁入り道具の家財のひとつに数えられるようになり、飾り物として華美により贅沢なものへと変わっていったようです。
やがて江戸幕府が五節句と言うものを制定し、3月3日を「桃の節句」と定めたので、5月5日の「端午の節句」が男の子の節句であるのに対し、3月3日は女の子の節句として定着していきました。