好きってなんだろう? 嫌いってなんだろう?
そんなことを考えていると、ひょっとしたら多くの人が無意識に陥っているだろうと思われるポイントが浮上してきました。
好きな人=善人? 嫌いな人=悪人?
もしこれが本当にイコールだとしたら、他者への好き嫌いの感情はもっと楽になれるはずです。
でも違うのです、イコールではないのです。
「私にとっては嫌いなあの人だけど、他の人から見れば悪人だとは限らない」
これは恋愛に置き換えるともっとわかりやすくなるかもしれません。
「アイツは悪いヤツだから、好きになってはダメだよ。傷つくのはアナタだよ。」
周囲の人は口を揃えてそう言います。そしてアナタも相手が悪い人だということに気づいています。そして自分が傷つくであろうことも知っています。でも……。
「それでも好き。」
大嫌いな人がいるとします。アナタはもうその人とは関わりたくないと思っています。
ここではっきりと「嫌いだ」と表明し距離をおけたらどんなに楽なことでしょう。
しかしそれが出来ない理由は「自分は大嫌いだけど、あの人には家族がいる、友達もいる、仲間もいる、決して悪い人ではない…」そこにいき着くからではないでしょうか?
悪い人ではないあの人を、嫌う自分の度量の狭さに葛藤し苦悩し、嫌いという感情を押し殺し好きになろうと努力する……。
「それって無駄な努力に思えるんだけど。」
「確かに無駄かもしれません、でもね、優しい人ほどその罠に陥りやすいものなのですよ。」
「そうなの?チャミエルさん。結局は自分が悪人になりたくないっていう感情からの逃避のような気がするなぁ……」
「いいえ、そういった逃避は人間本来が持つ自己防衛本能なのよ。決して弱さからくるものではないのです。自分の感情を守れない人は他人の感情に寄り添えないものよ、わかるかしら?」
うーん、私にはチャミエルさんの言葉がいまひとつピンときません。
私にとっては好き嫌いの感情が最優先事項です。好きな人のなかにだって善もあれば悪もあります。好きな人にだって不平不満はゼロではありません。あっても許せる、なぜなら好きだから……。
「あれ? これって恋愛の例えに近くないかな?」
『勝手に好きになる』この定義はヨシとしましょう。
『勝手に嫌いになる』これに関しては嫌いだと感じた瞬間にすべてのシャッターを下ろしています。相手の善悪など考慮せず、自分のなかにある不平不満を一切許さず……。
「あれれ? ひょっとして私が私を許していないの?」
しかし、しかしです! 私は相手に嫌われることも、それによって悪い人と決められることも許しています。嫌われていい、悪と決め付けられていいという覚悟を持っています。
「ん? つまりは他者にもそれと同じ決意と覚悟を求めてるってこと?それを持たない人を許してないってこと? 期待もしないし見返りも求めない分、相手からの期待と見返りも拒否してる……それって……」
「断絶。」(ボソリ)
耳元で小さく囁かれたミカエルのその言葉に私はゾッとしました。
あれこれ理屈をこねくり回してる場合じゃありません!
イメージできるとかできないとかの問題でもありません!
引きこもりの根本は「断絶」から発生したものです。同じ過ちを繰り返している場合じゃありません!
早いとこラブを始めないと!!
(PART.3へ続く)