58歳の私は約10年前に閉経して以来、老化の一途をたどっている。
そのうえ病も得て歩行困難となり、体力も気力も急速に衰えた。
病と老化は、私にとって「先細りの未来」を暗示している。
今後、私がかつてのように活力に溢れる日は来ないだろうし、このまま死に向かう道をのろのろと進んでいくしかない。
道幅はどんどん狭くなり、日の光は届かなくなり、最後に闇が訪れる。
それが私に残された人生だ。
確かに「病」は人生を変える。
病、その影響は良くも悪くも、計り知れない。
私も「この病は私の人生にとってどういう意味を持つのか」と考えてきた。
今のところ、老化による衰退の道をますます加速させた、ということくらいしか実感できないが、何か別の意味合いをいつか発見する日が来るかもしれない。
まぁ、確かに「病」のおかげで生き方は変わった。
これまでひとりで自立して生きてきたつもりだったが、こんな身体になってしまったからには夫の介護が必要になってしまう。
他人の手を借りて生きること、それによって謙虚になること……そういうことを「病」は私に教えてくれようとしているのかもしれない。
が、今のところ、私は一向に謙虚な気持ちにはなれないし、ともすれば謙虚を飛び越えて卑屈になったり僻みっぽくなったりしている始末だ。
人間というものは、ちょっとやそっとで変われるものではないね。
私の巌のごとき傲慢さは「病」ごときで溶解するものではなく、己がいかに無力かを思い知らせてもなお頑固に私の人格の真ん中にあぐらをかいている。
たぶん、私が真の意味で謙虚になることはないであろう。
私がこの「病」から学ぶべきものは何なのだろう?
今までがむしゃらに生きてきた私が急ブレーキをかけられたのだ。
今は慣性の法則でつんのめっているだけで、そのうちに新しい歩き方(生き方)が身につくのだろうか?
それとも鬱々としたまま死を待つだけなのか?
どうやら後者のような気がしてきた今日この頃である。
人間はそんなに簡単には変われない生き物なのだ。
私は神も霊もあの世も超能力も信じない。
そういう人間であることを自ら選択したからだ。
私は正直、何か(誰か)に救われたいとも思わない。
自分を救うのは自分しかないというのが私の結論だ。
私が私を救えないのなら、誰も私を救うことなどできないのである。
小説家・エッセイスト 中村うさぎ
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