旅は身軽が一番です。
人生の旅も手ぶらで進みたい。
旅の途中にあるものは、あった場所にそのまま置いていきます。
体験は、その場その場にあるものです。
今、アジアの古都を歩いています。
旅の途中では、さまざまなものに出会います。
美しい寺院、大きな樹木、あふれんばかりの花々、捨てられた犬、物乞いをする親子、
石畳に映える僧侶がまとう鮮やかなオレンジ色の布、ちょっとしつこい売り子さんに、何も買わなくても日に焼けた美しい笑顔をくれる人、両替で金額を間違えて多くくれる銀行員、小さな小銭をごまかす店員、顔を見て売値を変える店員に、無償の奉仕をし続ける人。
散らかって汚れたゴミの山の近くで、マントラを唱えながら気の遠くなる時間を注いで書き上げた1枚の絵が売られ。きらびやかな衣装と化粧のオカマさんに、托鉢姿のお坊さんと。
いろいろなものが雑然としている町を歩いています。
旅の途中では、さまざまなものに出会いますが、
ただ、そこにあるものを体験しながら通り過ぎるだけです。
美しいものも、そうでないものも、ただそこにあるだけです。
持っていくことはできません。
美しい寺院に進み入り、ただ、そこにある静寂を感じます。
その静寂は、持っていくことも、持ち歩くことも出来ません。
ごまかされた嫌な経験も、美しい笑顔に出会えた経験も、
祝福された喜びも、場違いだと感じた感覚も、
ひとつひとつの経験は、それぞれの体験の場にあったものです。
持ち歩くことはできないものです。
私たちの人生の旅も同じです。
毎日、さまざまな体験があるけれど、それは人生の旅の途中にあったものです。
家庭だろうと、職場だろうと同じことです。
それは、人生の旅の途中にあったものです。
それらは、人生の瞬間、瞬間の中にあったもので、瞬間、瞬間それらは旅の後ろに流れていきます。
旅の途中に、あった場所にそのまま置いていきます。
過去を振り返ることはあっても、その過去をそこからいまここに持ってくる必要はありません。
過去を振り返ることはあっても、見たらまた、あった場所に置いてきてください。
今日は、美しい寺院をいくつか訪ね、美しい笑顔にも会いました。
それらを、そのままの場所での体験として、そのまま置いてきました。
10年前の裏切りや、
1年前の苦しかった出来事。
ましてや子供の頃に体験した友人や親の対応など、
今、この瞬間まで持ち歩く必要はないのです。
旅は身軽が一番です。
もしも、出会うすべてのものを持ち歩いたら、すぐに動けなくなります。
荷物は多ければ多いほど、疲れます。
人生は流れる川のようです。
流れ続けて、いずれ海にたどり着きます。
川の途中で出会う風景も出来事も、ただそこにあったものです。
瞬間、瞬間を体験しながら進むだけです。
過去の荷物を持ち続ける必要はありません。
身体ひとつ、身軽に歩いてみませんか?
私はどこへいくにもリックサックです。
いつでも両手を空けていたいのです。
旅の途中にあるものは、あった場所にそのまま置いていきます。
体験は、その場その場にあるものだからです。