— 抑えよ、抑えよ、女を見るな —
インドに二人の僧侶がいました。
この時のインドでは僧侶たちは戒律で女性と関係を持つことを禁じられています。
二人の僧侶は、修行のため村から村へと歩きながら施し物を受けていました。
ある日、川の土手の近くで一人で泣いている若い女性にめぐり会いました。
僧侶の一人が彼女に近づいて尋ねました。
「なぜ泣いているの?」
彼女は言います。
『川の向こう岸の家が見えるでしょう。私の家なのです。今朝早く私は何の問題もなく川を渡ってきました。しかし今は水かさが増えて、戻ることができないのです。かといって私を連れ戻してくれるボートもどこにもありません』
僧侶はいう。
「心配ご無用、私が助けてあげよう」
そして彼は彼女を抱き上げ、背負って川の向こう岸まで安全に渡って連れて行きました。
そして二人の僧侶は次の村へ向けて歩き続けた。
数時間黙って歩いたそのとき、突然二番目の僧侶が話しかけました。
『兄弟よ、お前さんはとんでもない罪を犯したね。私たちは禁欲の誓いをしたではないか。お前さんが女の体に触れたとき、いい気持ちになって快感を覚えなかったかい』
女性を背負った僧侶はこう答える。
『私は二時間前に彼女を置いてきた。しかし、お前さんこそ間違いなく、まだ彼女を運び続けているではないか』
— さて罪が重いのは —
「女性には触れない」という戒律を守ったが、心に女性を残した僧侶なのか?
戒律を破りはしたが、心には女性を残してはいない僧侶なのか?
皆さんはどちらだと思われましたか?
実はこれは、こんな戒律には何の意義もないということを伝えるお話です。
結局、実際に戒律を守った僧侶でも心の中が悶々としていたなら同じこと。
けど
宗教的に妄想は最大の悪行為となるので、この場合は妄想した僧侶の方が罪が大きいそうです。
— 悪行為が一番悪いんではない —
私たちでもありますよね。
悪い行いはしていないけど、心では思ってる良くないこと。
人を批判してても、自分の心はドロドロなこと。
人に知られなければ、何も悪くないと思っていること。
でも私たちは、あんがい天罰などを気にして生きていませんか?
けど、神様が本当にいて罰を下されるとしたら……
実はそういうことに一番重い罰が下されるそうですよ。
行為よりは口為(悪言葉)
口為よりは思考
頭で思う悪いことに一番重いカルマや罰を与えられるんだそうです。
なぜなら、その悪は無限に広げることができるから……。
カルマや前世、輪廻転生などを信じているなら、良くない妄想はほどほどに。
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