言葉のままに思いが叶う事任八幡宮

全ては自分を確立させるための自分の世界でありながら、あなたは一般的なものに流されてそこに居座り居心地の悪さを感じ、神に会うため神社仏閣に足を向ける。

 

「あなたが選んだ石は無作為に選んでいながら、潜在的にはちゃんと決めている。一つ目の石は神を思って、その石は、あなたの神のシンボルとして選んでいる。二つ目三つ目も同様にあなたの中の象徴として選ばれている。」

磨き方にも汚れを(対して汚れてはいないけれど)落とそうと必死にゴシゴシ拭きました。三つ目はこれで最後かと思ったので小さいけれどかなり念入りに拭きました。
「その石は、三つの意思を表現している。あなたが思う神や、みんなのこと、自分自身に対して、あなたが思う穢れを払う。神に対しての敬意や感謝、周りを思いやる気持、自分自身の穢れ」
私自分の意思をゴシゴシ拭いて穢れを払い、意思を磨きあげてたのね

 

全ての人は大本一つからなる、
(過去記事レポ1、2参照https://www.el-aura.com/writer/machidamachiko/?c=108723
最初に拭いた石も2番目も3番目も最終的に自分自身を磨いていることになる。大元なる自分。自分を確立させるために生み出された自分(他者)そして、今の自分自身。
あなたは大元なるところからきた存在で、その大元を神とするならば、あなたは神の一部で体現だ。
でも、人はどうしても、神を偉大な存在であり、人は人という枠に自分を納めこもうとしてしまう。全ては自分を確立させるための自分の世界でありながら、あなたは一般的なものに流されてそこに居座り居心地の悪さを感じ、神に会うため神社仏閣に足を向ける。
そして、無限の自分自身(神)に出会う。神というシンボルを使い、自分と異なる存在として、自分を見つめる。一般的な集合無意識から幻想的な自然の中で自分自身に出会い、穢れを払う。

絵
(事任八幡宮社務所で購入できるポストカード)

 

言葉は話すことによって自分の思考から手放す。
神に願いを伝えた時に、思い煩いを手放す。
神に託すことになります。

神社参拝は同じお願い事を他の神社ではくれぐれもしないようにしましょう。神に託し委ねた願いは、鳥居を出た後にまた思考で思うことにより、託しきれずに持ち帰ったということになります。無限の神に託したならば有限の神である自分が持ち続けないことが無限の神との信頼関係を強く結ぶことになります。

 

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https://www.el-aura.com/writer/machidamachiko/?c=108723