末吉愛の「あなた本来の輝きを呼び覚ます ワクワク☆ミラクル自己実現メソッド」 PART.26 ~才能の種~

「才能」とは、賞賛されていい気になるために与えられたものではなく、人の役に立つために、そしてその貢献によって自分自身も幸せを感じることができるようになるために(言うなれば利他的自己実現のために)与えられた力だと思います。

才能とは何か

これまで自己実現(とくに利他的自己実現)をテーマに述べてきましたが、今回は「才能」について取り上げながら、深めてみたいと思います。

まず質問ですが、もし人生のなかで何でも叶えられるとしたら、どんなことをしたいと思いますか。
どう在ることがあなたにとって幸せでしょうか。将来の夢や、こんな生き方ができれば嬉しい、といったことを少し考えてみてください。

では、そのことに関する才能が、もしなかったとしたらどうでしょうか。
才能がなかったとしても、実現に向けて進んでいこうと思えるでしょうか。
それとも、才能がないならやめておこう、他のことをしよう、と思うでしょうか。

夢をあきらめる理由として、「お金がない」・「時間がない」・「自信がない」・「周囲が賛同してくれない」といったことがよく挙げられ、また、「向いていないから」・「才能がないから」というのも多いようですが、これらはまったく「理由」にはなりません。

これについて一つ一つ取り上げ書きたいところですが、今回は「才能」について焦点を当てて述べていきます。

「向いていないから」、「才能がないから」と言ってあきらめかけている場合、何を根拠にそう断じたのか、ということを考えてみてもいいのではないかと思います。

さきほどの、「もし才能がなかったとしてもやるか」という問い対して、「いいえ」と答えたなら、その夢は文字通り夢であっただけで、そこであきらめの気持ちが生まれるくらいなら、厳しいかもしれませんが、最初から「それまで」だったのだと言えます。
たとえ本当は「才能」を持っていたとしても。こんな質問で「やらない」ことを選択してしまうのなら。

「才能」と聞くと、多くの人は「天賦の才」をイメージするようです。生まれつき備わっていて、何の苦労もなく、すいすいとできてしまう力。

たしかに、そういう力がすでにあって、それを使って生きている人はいるのでしょうけれど、「才能」というのはそれだけを指すのではありません。

広辞苑第六版では、「才能」についてこう定義されています。
「才知と能力。ある個人の一定の素質、または訓練によって得られた能力。」

「訓練によって得られた能力」とあるように、「才能」とは、生まれつき持っている力のこととは限らないのです。

 

才能の種

「才能」というのは、「種」として、誰のなかにも与えられているものだとわたしは思っています。
「種」として与えられているので、水をやり、光に当てて、育ててやらねばなりません。

わたしたちは、複数の「種」を持っていて、そのうちのいくつかはすでに芽を出しており、さほど手をかけてやらなくても、ぐんぐん伸びていくことができるかもしれません。
だからどちらかと言うと目がいきやすく、周囲からもその成長ぶりを評価されやすい傾向があるのです。「すごい才能だね!」と。

けれども、先に言ったように、それだけが「才能」と呼ばれるものではなく、他にも「種」はあります。
世話をして、芽を出し花を咲かせるまで育ててやらないと、そのあらゆる「才能」の「種」たちは、土壌のなかで眠ったままになってしまいます。

つまり、「種」があることに気づいてやらねばなりません。それは自分の責任です。ちょっと試しにやってみたぐらいで、うまくいかなかったからといって、「向いていない」だの、「才能がない」だのと言うのは、おかしいのです。水を2,3かけただけで、「育たない」と言って、世話を放棄しているのと同じです。

「才能」とは、賞賛されていい気になるために与えられたものではなく、人の役に立つために、そしてその貢献によって自分自身も幸せを感じることができるようになるために(言うなれば利他的自己実現のために)与えられた力だと思います。

当然、同じ「種」を持っている人は大勢います。トップであることが、才能があることのしるしではないのです。「才能」は、競争するための道具として与えられたものではなく、愛の道具として使うために用意されたものです。だからこの世に生きるすべての人に、それは間違いなく与えられています。

あなたはどのような「才能の種」を持っていますか。いまは眠ったままの、まだ芽の出ていないものたちばかりかもしれませんが、それでも確かに在るのです。人と比べて優れているかどうかを基準にして探さないでください。
見出せるのは、純粋な喜びの気持ちそのものです。好きなこと、していると楽しいと感じられること、なぜか興味のあること。やってみたい、という思い。その好奇心。どんな分野で人の手助けをしたいか。

それらが「種」の在りかを示してくれています。あとは日々水をやって――ちゃんと「訓練」して――育ててやること。
きっと、種から芽の出る、その最初が一番パワーの要るところ。
あきらめないで育てていくから、のちにそれが「才能」だったとわかるのです。

いま目の前にあることに一歩ずつ取り組んでいきながら、水やりを怠らないでいましょう。自分では気づかなかった意外なところから、ある日ひょっこりと顔を出す、その「才能」に、笑顔で応えるときが来るかもしれません。
自分と他者にかける愛情そのものが、「才能」の花を咲かせることのできる、唯一の栄養。すでに充分与えられている「才能」を、やさしくゆっくり丁寧に、育てていきましょう。

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