こんにちは、よいぼしのなぎうたのkinaです。
人気の演歌歌手で都はるみさんという方がいらっしゃいます。
「北の宿から」「アンコ椿は恋の花」が代表曲で、若い方でも歌声は耳にしたことがある方も多いと思います。
この方のこぶし回しは並の方には中々できるものではなく、カラオケで真剣に歌っても笑いを取る方にいってしまうことも多いです。
「この話のどこがDVや共依存につながるのか?」と思う方もいるかもしれませんが、最後までお付き合いいただけると幸いです。
桂春団治とたかたかしさんは時代を先取りしていた? 都はるみさんの「浪花恋しぐれ」に見る共依存の女性の姿
都はるみさんの代表曲のひとつに、作曲した岡千秋さんとデュエットした「浪花恋しぐれ」という歌があります。
これは落語家の初代桂春団治とその妻をモチーフにした歌で、作詞はたかたかしさんです。
岡千秋さんが歌う1番目の歌詞はこんな感じです。
芸のためなら 女房も泣かす
それがどうした 文句があるか
この曲の2番目、都はるみさんのパートの歌詞はこうなっています。
そばにわたしがついてなければ 何も出来ないこの人やから
泣きはしません 辛くとも
昔は聞き流していたこの歌を、最近耳にして思ったことが「……これってDV男性の言い分と、それに共依存する女性の思考パターンじゃないのか?」ということでした。
DV(ドメスティックバイオレンス、男性が一方的に女性に振るう暴力、逆もありますが)では男性側が加害者になることが多いです。
女性に肉体・精神的に暴力を振るう男性がどうやったって悪いのは当然なのですが、それに対して「この人は私がいないとダメだから」と暴力を容認し、そんな男性に依存する女性の態度も、暴力を助長させている……ということは指摘されていますね。
ちょうど、「浪花恋しぐれ」の歌詞のように、「そばに私がいないと、この人はダメになる」とか言って。
桂春団治は才能があって、最終的にその才能が花開いたから、芽が出なかった時期を支えてきた奥さんの姿がこのような美談になっていますが、そうでなかったら、単なる「酒乱で女癖が悪い夫と、その夫から虐待を受けても共依存状態で離れられない妻」という、DVの例に出てくるような話になっていたんじゃないかと思うのはkinaだけでしょうか?
こんな風になったら、折角の名曲も興ざめですね。
そのご主人や彼は才能があるんでしょうか? 現代にリアルで「浪花恋しぐれ」を演じる必要の有無は?
最近でこそ「DVはやってはいけないこと」という認識が浸透して、肉体的な暴力だけでなく、相手が傷つくような言葉を投げつけることや、奥さんというか家庭にお金を不当に渡さないというのもDVだと見なされるようになりました。
まだまだ不完全ではありますが、法律でも救済策が徐々に整ってきています。
それでも、まだDVが正しいと思っている方はいますし、共依存状態に陥っている方もたくさんいると思います。
「浪花恋しぐれ」という歌は、桂春団治という才能のある落語家とその才能を見抜き支えてきた妻の話、というバックボーンがあり、都はるみさんという卓越した歌手がステージという舞台で歌うからこそ人気が出るのであって、才能もない、女性を苦しめても何とも思わない男性と、それに依存して気づかない女性がステージで歌っているつもりでリアルでやっていたら……周囲は「何やってるんだ」としかならなくなると思うんですよね。
それこそ、都はるみさんのこぶし回しを並の人がやっても笑いになってしまうってことですよ^_^;
……と、「浪花恋しぐれ」をDVに関連付けて話をするなら、一番重要なところは「桂春団治の奥さんは夫の才能を見抜いた才女だった」という部分ではないかと思います。
それだけの「見抜く目」がない状態の人だったら、DVを受けていたならすぐに逃げた方が賢明だと思います。
本当に「そばに私がついていないと、何もできない人」と一緒にいて幸せになれるって、よっぽど女性側に力量がないと難しいですからね。
それだけの力量となると、男性に依存している女性にはまず無理だと思うんですよね……。
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