神に仕える者を守っていたのは神か人か? 大昔に見る、知的・身体的障がい者への保護活動

障がいを持って生まれた子供を守るシステムは世界中に昔からきちんと存在していました。

こんにちは、よいぼしのなぎうたのkinaです。
この間書かせていただいた、「スピリチュアル的に見る、障がい者の生きる権利って何だろう?」のお話の続き的なものです。
障がい者の命は本当に必要でないのかどうか、昔の人の価値観を調べていくと意外なものが見えてきます。

 

障がいについて考えるには、医学の発展を考慮することが要求されてくるように思います。

医学がそれほど発展していなかった昔は、障がいを持って生まれてしまった子供が成人まで育つということの方が稀でした。
遺伝子の組み合わせによって発生すると言われるダウン症のお子さんは、少し前までは「成人するまで生きることが難しい」と言われていましたし、見た目で障がいがわからなかったとしても、先天的にてんかん発作を持っていたお子さんが発作のことを周囲が気づく前に海や川等で発作を起こして、それが原因で亡くなった場合には「てんかん発作による死」ではなくて「溺死」「不幸な事故」と誤解されることも容易に想像はつきます。

実際は障がいがなく生まれてきた子供でも成人するまで生きるのにも大変だった時代に、障がいを持って生まれた子供が成人するまで育つ、ということは稀なことで「神様がその子供を守ってくれた」と見做され、キリスト教が伝播される以前の社会では、そういう障がいを持って生まれてきた子供が世界中の色々な場所で「神の子供」として神に仕える仕事に従事し(=衣食住が保証され)、その地域に住む人達へ精神的な安寧をもたらしていたことが多かったようです。
生命の維持を考えたら「衣食住の保証」はかなり大きいのは誰もがすぐに理解できることと思います。

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障がいのいくつかは医学の発達していなかった過去には「神様に繋がるもの」と見做されていましたし、古代ローマの英雄ジュリアス・シーザーも「神様に繋がる印」と見做されていたてんかん発作の症状があったと言われていました。
そのため、「神の子」と思われていたから、彼の言うことに賛同者が多かった可能性もありますし、破天荒な彼の言動も「神の子だから」で許されていて、かつシーザーの魅力として映っていた向きもあったのかもしれません^_^;

障がいを持って生まれた子供の障がいが「神様のしるし」として見做され、「神の子」として神に仕える風習は障がい者の保護システムとしてかなり有効なものだと思いますが、いったいこのシステムを考えだしたのは誰だったんでしょうか。
神様がそのようなシステムを考えだしたのか、その集落で開明的で、かつ思いやりのある心の広い人物が神様の名前を使って「障がいを持って生まれた子供を保護する仕組み」を作ってしまったのか……今となっては、誰もわからないことではありますが。

……と、「キリスト教の伝播以前に」と書きましたが、それはキリスト教が障がい者の保護をしていない、という意味ではなくて「神の子はイエス・キリストひとり」という教えなので、イエス・キリスト以外の人間が「神の子」という立場には成り得ない、という意味です。
キリスト教そのものとしてはむしろ障がい者保護には積極的な方で、修道院が障がい者保護の役割を担っていた時期もあります。

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誤解のないように付け足しです。

なお、イスラム教でも「ノブレス・オブリージュ」というか社会的に地位と財がある人はその財で病院などを運営し、社会的な弱者を保護することが神に対する責任という風潮があります。
日本の障がい者保護の多くは仏教の教えから発展していますよ。

こんな風に、障がいを持って生まれた子供を守るシステムは世界中に昔からきちんと存在していました。
こういうシステムは神様が生み出したものかもしれませんが、人の思いやりや努力がなかったら続けられなかったと思いますよ。

 

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