先人達は苦を取り除くために、滝にうたれ、宇宙とコンタクトを取っていた民族もいます。
苦を意識しながら生きるよりは、使命を果たすことを目的に生きることで、心が軽くなります。
スピリチュアリストが良く口にするありのままの自分を受け入れるという意味の中には、一切皆苦の意味が含まれている気がします。
「生まれてきたこと。」これは選択の余地はありません。
「老いること。」医学や科学が進化しておりますが、今の時点では誰しもが止めようがありません。
「病むこと。」病気が好きという人はいないでしょう。
「死ぬこと。」富豪も貧乏人にも、すべての人に必ず訪れます。
これらの四つのことを「生老病死」と言います。
または、四苦とも言います。
どんなに愛する人とも別れるときが来ること(愛別離苦-あいべつりく)、どんなにいやな人でも顔をあわせなければならないこと(怨憎会苦-おんぞうえく)、求めても思い通りにならないこと(求不得苦-ぐふとくく)、人としての肉体・精神があるために生まれる苦しみ(五蘊盛苦-ごうんじょうく)の四つを、生老病死の四苦に加え「八苦」といいます。「四苦八苦」と言います。
この「四苦八苦」は、生まれて来た人に訪れることになるでしょう。
1つ、2つ無くなりそうなのは、怨憎会苦と求不得苦は、これから生まれて来る子供たちは薄れていくことになりそうです。
四苦八苦は、誰にでも訪れることになりますから、自分ではどうにもならないことなのです。
それなのに、どうにかしたい、どうにかしよう、と思うと文字通りの「苦」になってしまいます。
思い通りに行かないようで、その想いを生みだしているのは、あなたの心なのです。
物質社会に慣れてしまっている人達は、目の前のものに執着したり、「自分」に捉われて過ぎていることで、本来の自分を忘れてしまっているのです。
本来の自分とは、この世の使命を思い出すことです。
人生を諦めるのではなく、人生を明らめることです。
徳を積めば宿命に近いかたちで生きること出来るのです。
宿命通りに生きるということは、あなたの使命を果たすことができるということです。
使命を果たすことが出来る人は、宇宙やこの地上に生きている人達から良いエネルギーを受け取ることが出来るでしょう。
松下幸之助さんもこのように言っています。
「人間として一番尊いものは徳である」
《君が「徳が大事である。何とかして徳を高めたい」ということを考えれば、もうそのことが徳の道に入っていると言えます。「徳というものはこういうものだ。こんなふうにやりなさい」「なら、そうします」というようなものとは違う。もっとむずかしい複雑なものです。自分で悟るしかない。その悟る過程としてこういう話をかわすことはいいわけです。「お互い徳を高め合おう。しかし、徳ってどんなもんだろう」「さあ、どんなもんかな」というところから始まっていく。人間として一番尊いものは徳である。だから、徳を高めなくてはいかん、と。技術は教えることができるし、習うこともできる。けれども、徳は教えることも習うこともできない。自分で悟るしかない。》
「本当の自分」として生きるために、かけがえのない使命をも果たすために、今を生きていることを忘れないでいて下さい。
そのためにも、自分自身を知る事です。
ありがとうございます。
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