【新しい時代だからこそ、徳を積み宿命に合った生き方ができる】〜キプロスのカズコより

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【新しい時代だからこそ、徳を積み宿命に合った生き方ができる】

人は逆境に至ると「運が悪い」「生まれて来たくなかった」「親を選ぶことは出来ない」等と疲弊した言葉で自分を更に傷つけてしまうことで、自信を失ってしまい、立ち直るには時間が掛かることでしょう。

運が悪いことは、いけないことでしょうか。

運が良いというのは、どのようなイメージをあなたは浮かべますか。

高級車やブランド品、豪邸に住むことが出来る人は運が良いのでしょうか。

高学歴の親の元に生まれて、留学させて貰える経済的に余裕がある家に生まれて来た人は親が子供を選んで生まれて来たのでしょうか。

生まれて来たくなかったと言っても、すでに、生まれて来ていますし、生まれて来るためには、霊界で多くの人達から、「地上で頑張って君の使命を果たせることを願っています。」と、応援して貰わないとこの世に生まれ変わることは出来ません。

ですから、生まれ変わることが出来たということは、あなたはすでに、徳を持って生まれて来たのです。

先人の教えによれば、人は誰しも産声をあげて生まれて来る瞬間に、宇宙、自然からエネルギーが与えられるとされています。

それは、生まれてくる瞬間に人間が生きて行くうえで不可欠な活力や生命力を自然から与えて貰うことが出来るのです。

どのような生き方をすれば幸せを導いてくれる羅針盤が向かう方向に進むことが出来るのでしょうか。

もしも、本当に霊的な意味で幸せな人生を歩んで行きたいのであれば、あなた自身の生まれて来た意味、目的、使命を知ることです。

人はそれぞれ異なった宿命を背負っており、あなたの宿命に合わせて生きるのがもっとも自然で、理想的な生き方なのです。

宿命通りに生きていない場合は、生きていることが辛くなり、生きる意味を感じることが出来ず、勝って気ままに生きていると誤解されたまま、周りの人達から嫌われたくないがために、自分の使命を果たすことよりも、妥協した生き方をしている方が、楽と錯覚してしまい、周りの人達に合わせ、気を遣いながら生活を続けていると、受けるストレスも大きく、心身ともに疲れ果ててしまうことになり、「欝的」な症状が発してしまうこともあります。

誰もが、宿命通りに生きるのがベストですが、しかしながら、自分の思い通りに生きられないからこそ、この世で生きる人間の苦悩の種があり、多くの人達がこの種の悩みから脱却するためには、どうすれば良いのかと考え、数千年前に悟りを開いた聖者や哲学者、心理学者等からの教えを学び続けているのではないでしょうか。

生きている間に悟りを開くことが出来たお釈迦様は、一切皆苦(すべてのものは苦しみである)である。「この苦しみから逃げるには、地位も名誉も財産も、妻も子供も、この世のすべてのものを捨て去って、彼岸に渡るしかない。一切の思い煩いを捨て去った彼岸にこそ涅槃の境地、永遠の安らぎの境地がある。だから、この世のすべてをかなぐり捨てて、彼岸に渡りなさい、世俗を離れて出家をしないさい」というのが、基本の仏教の教えであり、それを説いているのが、智恵の経典と言われている般若心経です。

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20世紀末では、出家しない限り、悟れないということが基本でした。

しかし、すでに、悟った新しい魂達が地球に生まれ変わっていたりする意味では、普通の生活を送りながら、悟れることも出来る時代になっています。

悟ることで、自分の人生をありのままの姿で生きることが出来るのではあれば、生まれて来たことを蔑むこともなく、本望ではないでしょうか。