人生の苦難とどう向き合うと生きやすくなるのか?〜キプロスのカズコより

自分の中で拭い去りたいほどの辛い過去であるほど、本当は、そのかけがえのない出来事の中から、光を見出すことが出来るかも知れないのです。

人生の苦難とどう向き合うと生きやすくなるのか?

自分に与えられた運命をすべて受け入れることが出来るものばかりではないでしょう。

幼い頃の家族とのトラウマ、貧しい家庭に生まれ育ったことへのコンプレックス、学生時代の思い出したくない過去、社会人になってからの理不尽な現実等。

自分ではどうすることも出来ない重荷をどうすればいいのか?

重過ぎる自分との過去と向き合うことが出来るのか?

「なぜ、こんな親の下に生まれて来たのか?」

「なぜ、こんな過酷な境遇を背負ったのだろうか?」

「なぜ、この土地に生まれ変わったのだろうか?」

「なぜ、この時代に生まれ変わったのだろうか?」

「なぜ、お金のことで心配ばかりしなければならない貧しい家庭に生まれたのだろうか?」

「なぜ、虐められるのだろうか?」

「なぜ、孤独なのだろうか?」

「なぜ、結婚できないのだろうか?」

「なぜ、子供を持つことが出来ないのだろうか?」

誰もが自分の人生に対して受け入れがたい現実の1つや2つは抱えているはずです。

なぜ? どうして? と思って後悔し、受け入れ難い過去は、誰でも、背負いたくなかったことでしょう。

生まれたことを悔やむほど重い過去があったとしても、その過去を消し去ることは出来ません。

もしも、こんな親の下で生まれて来たことを悔やんだとしても、変えることは出来ません。

貧しさ、喧嘩の絶えない家庭、両親の離婚、親の不倫、経済的に負担が掛かるという理由で才能を伸ばすことができない環境、肉体的、または、精神的な障害、病弱な身体、自らが犯してしまった罪、愛する人との別れ……。

そのような過去の重荷を抱えながら生きて行かなければなりません。

変えることは不可能ですが、その胸に痞えて、辛くなる過去の重荷に対して、どのようにすれば良いのでしょうか。

人によっては、恵まれた環境にいて、不満、不平など持ちようのない人生であるはずなのに、その人自身の運命を受け入れることが出来ない場合もあります。

この地球上に生まれ変わった人間であれば、人生に背負った条件のすべてに満足している人は誰もいないでしょう。

巨額な富を保持していても、絶世の美女であったとしても、誰もが、何らかの受け入れ難い過去を抱いて生きているのが現実です。

しかし、恵まれない環境だからといって、その人が不幸になるとも限りません。

また、恵まれた環境でも、何かしらのコンプレックスを抱いていることで、苦しみを背負って生きている場合もあります。