棺桶が運ばれて来る前から、大勢の人が集まっていました。
向うから自分は誰々の親戚です。と握手したり、キスしたり、小雨も降り始めて、寒く感じました。
時間より遅れて霊柩車で運ばれて来たPさん、小さな教会から多くの泣き声が聞こえて来ました。
私と主人はPさんとは去年楽しい時間を持てたので、Pさんの姿が見えないところでキャンドルに火を灯、僧侶の祈りを聞いていました。
その後、Pさんはお母さんが眠るお墓に運ばれ、オリーブ油、聖水、お香とともに、埋葬されました。
多くの人々がPさんを偲び、世界中からPさんとのお別れを涙を流しながら惜しんでいました。
Pさんを尊敬していた長男のCさんは死に目に会えなかったことが悔いに残り、「もっと早く来れたら、最後にお父さんと話すことが出来たのに……。」と何度も母親に言っていたそうです。
喪主を務めたCさんは、キプロスに来てから一睡もしておらず、疲れた様子でした。
その日は、その後、親しい人達でPさんの話をしながら、隣に座った人はPさんの同級生ということで、新聞で悲報を見て、駆け付けたらしく、色々と話をしてくれました。
Pさんのお葬式に黒ずくめのイスラム教の女性かと思う人がいました。
Pさんの従姉妹でキプロスの修道院に身を置いている方らしく、私がPさんに最後のお別れを言って教会から出て行こうとしたら、行き成り、手を握られました。
「お名前は?」と聞かれました。
マイケルが後ろから来ているので、「私の主人です。」と、拙いギリシャ語で言うと、優しい声で「ありがとう」と言われました。
Pさんの次男はマイケルのゴッドサンですが、Eさんが小さい頃に離婚したので、そのトラウマがあって、お葬式に来ることも拒んでいました。
何かあると、Eさんはマイケルに相談してくることが多いので、実の父親の存在よりも、洗礼を受けたゴッドファーザーを信頼している様子でした。
Pさんと私が初めて会ったときは、PさんがアメリカのLAに暮らしているときにキプロスにいるお母さんに会いに来たときに、息子2人もLAから来たときに、会いました。
最初のPさんの印象はサイキック? 霊能者? というイメージでした。
眼が他の人と異なるので、「この人は視えるのか?」という感じで、会話を始めました。
ハリウッド映画業界で働いていたこともあり、多くの若手俳優を日本に連れて行ったり、オーストラリアにも行ったりしたことを話していました。
そこで、私が「女優のシャーリーマクレーンに会ったことがありますか?」と聞くと、「何度かあるよ。」と言うので、「もしも、将来、アメリカに行くことあれば、会わせて貰える手配は出来ますか?」と訊ねると、「約束は出来ないけど、何とかして見るよ。」と笑顔で言ってくれたことを覚えています。
女優としてでなく、元祖スピリチュアルの先駆けで「アウト・オン・ア・リム」という本を世に出し、ドロドロした霊能者のイメージを変えてくれたことに感動したことを覚えています。
その約束は実現しませんでしたが、キプロスに移住してから、高次元のエネルギーを放出している方々と会える機会に恵まれました。
Pさんもその1人でした。
Pさんの生き方は真面目な人からは破天荒な生き方だったと思います。
マイケルの親友でいまでも仲良くしている最初の奥さんの生計で、イギリス国籍を収得し、ロンドンで生まれた子供たちを自分都合でアメリカに連れて行き、ある時期、映画業界で羽振りも良くなり、その後、離婚し、2度再婚し、一時期はイタリアでフード番組のプロデュースをしたりしてイタリア語もペラペラでした。
お金が無くなると、長男に相談していつも融通して貰っていました。
ある時期は仏教徒になったという話も聞いたり、ふと、気づくとギリシャの聖山アトスに長期で滞在したり、定住することはなかった様子です。