病みます……?
五月は五月病というものがあります。
最近では、六月は六月病というものまで出てきました。
厳密には、それらしきものは以前からあったと思うのですが、とにかくそういう呼称がひょっこり出てきたわけです。
前にもこういう話はしたのですが、つまりいつでも私たちは病んでしまう要因があるわけです。
病名がついたから大変だとか、病名が無いから重症では無いとかそういう問題ではありません。
いつでも、辛く、心身が弱ってしまう可能性はあるのです。
私たちは何故、病んでしまうのか?
私は医療従事医者ではないので医学的なアプローチはできません。
ただ、私たちは何故病気になってしまうのかというのは医療従事者では無くてもやはり気になるところです。
ちなみに100%病気にならない人はかなりのレアケースだと思うので、「○○すれば絶対に病気にならない!」ということを主張するつもりはありません。
むしろ、そういう触れこみをしている人がいたら、少しだけ警戒対象として頭の片隅に入れておいた方が良いかもしれません。
よく「体調不良は自分の健康管理が出来ないからだ!」と自信満々に言う人がいます。
俗にいうブラック会社と呼ばれているところに1人や2人はいるのではないかと思います。
ただ、私は思うのです。
健康管理ができない環境だったらどうにもならないのではないかと。
つまり、環境に合わせてヒトを強引に合わせようとするから無理が出る。
従って、その人の本来の管理できる範囲を逸脱してしまうから免疫力が低下してしまったりして、心身に不具合が起きてしまうのではないかと思うのです。
もちろん、本当に恵まれた環境にいて何不自由なく生活しているのに、不摂生をしてしまって病気になってしまったとかそういう例外もあると思います。
たまたま外に出たら蒸し暑くて体調が崩れてしまったとか、誰のせいでもない不慮の事故という場合もあると思います。
もちろん私が勝手に思っている事なので本当は違うかもしれません。
自分の意見を強引に押し通すつもりはありません。
ただ、可能性の一つとして「そういう考え方もあるな……」と思ってくれたら嬉しいです。
QOLを考えてる?
「私は何故生まれて来たのだろう?」と考え出すと夜も眠れなくなりそうなので、それは時間がある時に考えてくれれば良いとして。
折角生まれて来たからにはQOL(人生の質)を向上させることにぜひとも意識を向けて欲しいなと常々思っています。
QOLを向上させることができれば、これは間違いなく良い人生です。
一方で学力や収入は誰よりもあるけれどQOLが低ければ、お勧めできない人生ということになります。
たとえば私たちは子供の頃から大人になるまで学校というところに行きます。
何故かというと、たぶん本当の目的はQOLを高めるための様々なスキルを身につけるためなのではないかと思うのです。
本当は違うかもしれないけれど、少なくとも私はそう思いたいです。
だって、そう考えないと何で学校に行かなくてはならないのかわからないですものね。
「勉強をするためだよ」とか「偏差値を上げるためだよ」とか「一流企業に就職してお給料をたくさん貰うためだよ」とか言ってもピンときませんよね。
もっと言うと、学校に行ってもそういう意識だけしか持っていないと、他のことは学べなくなってしまうのです。
本質がズレているのですね。
学校は生きていくための知識を増やして、好奇心を増やして、探究心を育てて、集団を通してコミュニケーションを学ぶところです。
平均的な能力を持った人間を大量生産することが目的でも無ければパーフェクトヒューマンを誕生させたいわけでもないのです。
そのような環境の中で、ひとりひとりがQOLを上げるために、それぞれ必要なことを学んで取捨選択しながら、時には打たれもしながら、成長する場なのです。
高校などでは赤点を取ったら進級できないとか、卒業できないとかがあります。
それはそれとして、私たちは、本当は自分の人生により有利になる何かを得るために学校に行っているということを忘れてはなりません。
それは必ずしも、集団行動とか、集団秩序というだけの話ではありません。
もちろん、リーダーシップを、学生生活を通して身につけたり向上させたりする人もいると思います。
あるいは不本意なことに耐える忍耐を学ぶ人もいると思います。
逆に、集団の中で少数派としてどうやって生き伸びるかを、実践を通して学ぶ人もいると思いますし、不本意なことを単に受け入れるのではなく何とかして状況を変えようとする力を身につける人もいると思います。
イジメはダメですが、どうしても学校にはパワーバランスやヒエラルキーというものが存在します。
そんな中で、どうやって卒業までの局面を生き残るかを学ぶというのも大事です。
あるいは全員と仲良くする方法を模索する人もいるかもしれません。