人に好かれるファーストステップ!~内面が大事なのはさておき、客観的に外見を磨く方法とは?~

印象が悪いと、それこそモテ期も逃してしまいかねません。 それでは勿体ないです。

「ありのままの私」は今もこれからも勘違いされ続ける気がする!

人の目が気になるという人、案外多いようです。
「私は私」とか「ありのままの私」とか、自分にどんなに言い聞かせても妙にしっくりこない。

私と言う人間が私らしく自己表現をして素直に生きられたらそれは幸せだということは誰だってわかっています。
もちろん自分の心に嘘をついて生きていても、演技をして生きていても楽しくありませんし、それが人生の質(QOL)を高めるとは思っていません。
そのように考えている人も多いのではないでしょうか。

「私は私だから」とか「ありのままの私」と言っている周囲の人たちを見渡すと、単に空気が読めない自分に開き直っているだけとか、私らしさの押し売りをして周囲の人たちにそれを強引に押し通しているだけに見えることもあります。

「ありのままの私」という流行はこれからも当分続く様に思います。
そして、その言葉の本質も誤解されたまま独り歩きする気がします。
流行っているということはそれなりに背景となる心理があるのかもしれませんが、流行っているからその価値観が正しいということでもないような気がします。

 

「嫌われる勇気」も誤解されている気がする!

「ありのままの私」を勘違いしたまま押し通している人たちは、結果的に支配と服従といったような関係になってしまっているような気がします。

「私らしさ」全開でも、それがウケの良いキャラクターだったら素直に受け入れて貰えるかもしれませんし、場合によっては高感度があがるかもしれません。しかし、大半の人は残念ながらそういう事はありません。
「これが私なのよ!」「私らしくして何が悪いの⁉︎」と睨みつけたり、怒鳴りつけたり、ふてぶてしくしていたら嫌われますよね。

嫌われても自分を押し通して、周囲の人間を屈服させて有無を言わせないという方法論が好きな方はそれで良いのかもしれません。
しかしそれを私たちは『独裁』と呼びます。

嫌われることを恐れて何も出来ないのでは困ります。
時には嫌われることを覚悟で自分の気持ちや意見、表現を伝えなければならないこともあります。
ただ、それもTPOは必要です。
いつも多くの人たちを敵に回すような生き方をしていたら辛いだけです。

 

心の在り方は周囲を思い遣るコト!

やはり私たちが上手にコミュニケーションをしていくためには内面が重要です。
心の在り方、相手を思い遣る気持ちがあってこそです。
そういった関係だからこそ、自分らしさを表現できるのですし、自己表現できるというものです。

 

やっぱり気になる外見……

内面の話はさておき、やっぱり外見も気になるものです。
こちらも「私は私」とか「ありのままの私」とか言っていても通用しない場面も多いです。

生まれ持っての美貌を持っている人でさえ、あまりにも外見に無頓着すぎると周囲に悪影響を与えかねません。

印象が悪いと、それこそモテ期も逃してしまいかねません。
それでは勿体ないです。
「人間は内面だよ」というのは間違っていません。しかしこれは関わりを持って行く間にわかってくることであって最初のステップは「人間は印象(外見)から入る」可能性も忘れてはなりません。

私たちは本能的にそれを知っています。
たとえば赤ちゃんは弱い存在ですよね。
でも、外見が可愛らしいから愛されますし、守って貰えます。

では怪物のような姿の赤ちゃんがいたらどうでしょうか。
自分の子供だったらそれでも可愛いかもしれませんが、他人の子供だったら「うわぁ、可愛い赤ちゃん! 抱っこさせて下さい!」とか思いませんよね。

むしろ「恐ろしい子!」と思って、その場から立ち去ってしまいたくなりますよね。
これでは赤ちゃんとしては困るわけです。
生まれた時から社会不適合では問題ありすぎです。
外見の与える重要性はこれほどまでに大きいのです。
だから、大人もやっぱり外見は重要ですし、気になるわけです。

「あの人、近寄りがたいよね……」と思われていたら、その人が良い人なのか悪い人なのか、気の合う相手なのかどうか判断がつきません。
「危うきには近寄らず」で、最初から距離を置かれてしまいます。