健康で幸福な人生を生きるとはーアーユルヴェーダ伝道師 Vol.2ー

私とアーユルヴェーダの出会いPART2

私とアーユルヴェーダの出会いPART2

ディーパック・チョプラ博士の本はアーユルヴェーダ哲学を知るうえで魅力的な内容でしたが、いつしかアーユルヴェーダのことは忘れてしまっていました。日々の仕事をこなすのに精いっぱいでした。

それから数年が経ち、コンピューターの世界に革命的な変革が起こりました。インターネットの民間への普及です。インターネット元年と言われる年でした。その頃、私の知人が治療困難な病気に罹りました。そのことを知ったとき、忘れていたアーユルヴェーダを思いだしたのです。数年間すっかり忘れていたので、なぜアーユルヴェーダを思い出したのかはわかりません。

アーユルヴェーダは人間に関する取扱説明書です。人間が健康で幸福な一生を送るために必要な知恵がすべてアーユルヴェーダに含まれているという意味です。アーユルヴェーダに関する神話によると、人間がこの世に存在し始めたときからアーユルヴェーダは存在していたといいます。宇宙創造の初めからアーユルヴェーダは存在していたというのです。もともと存在していたアーユルヴェーダを「神様が思い出した」と神話に記されています。それだけアーユルヴェーダは宇宙根源の知恵と考えられているのです。私もアーユルヴェーダを思い出したのでした。インターネットを使ってみたいという軽い気持ちもあって、アーユルヴェーダというキーワードでネットを検索してみました。当時は世界全体でみてもアーユルヴェーダ関連のサイトは数件しかありませんでした。

Dr.パルタップ

その中にJiva Ayurvedaというサイトがありました。なんとなく信頼がおけそうな気がしたので、知人の病気についてメールで問い合わせをしてみました。それまでインターネットを使ったことがなかったので、本名を使うことにためらいがあり、ミチコという名前で問い合わせをすることにしました。すぐに返事が来ました。差出人は、その後私のアーユルヴェーダの師となるドクター・パルタップ・チョハンでした。メールのやりとりを3回くらい続けると、ドクター・パルタップの誠実でスピリチュアルな人柄がすぐにわかりました。そこで初めて本名を打ち明けました。ドクター・パルタップは当校の生徒さん達に彼と私の出会いのいきさつを話すとき、いまでも「チエは最初ミチコという偽名を使ったんだよ」と一言付け加えることを忘れません。ドクター・パルタップは私に「グル・シシュヤ・パランパラの伝統に則り、チエが質問したら私は答えるよ」と言いました。グル・シシュヤ・パランパラとは、師から受け継いだ知識をそのまま次の弟子に伝えるというインドの伝統的な知識継承の方法をいいます。こうして私はドクター・パルタップからアーユルヴェーダを学び始めたのです。

それからしばらくたったある日、私の職場の近くでチベット仏画即売会が開かれました。何気なくそこに入り、チベット人の販売者と言葉を交わしました。どういう話の流れだったか忘れましたが、私は「近々インドのアーユルヴェーダ医師が日本に来るんですよ」と言いました。販売者は「そうですか。そのアーユルヴェーダ医師を大切にしなければいけませんよ」と言ったのでした。南アジアの人々にとってアーユルヴェーダ医師は尊敬されるべき存在だということを理解したのでした。

4月29日から5月6日までドクター・パルタップが来日し、
アーユルヴェーダセミナーと個人コンサルテーションを行います。

http://www.jivajapan.jp/seminar/1932.html