「化粧もせず白髪も染めずに外の景色を楽しもうってなれた時、もっと幸せになるんだよ」シリウスB星の高次の意識体”PK-PN”からのメッセージPart.118

八多 PK-PN

< 働くニューヨーカーは、毎日ほぼすっぴんなんです >

ニューヨークで社畜人生を送っていたある時、「なんでキミはいつも化粧をしているの?」って、アメリカ人に聞かれたことがありました。

「え? だって社会人のマナーとして、化粧はするべきだと思うので……」と答えると、「そう? オフィスのみんなを見てごらん。アメリカ人は誰も化粧なんかしてないよ」と言われて、『そんなはずはないけど……』と、改めてオフィスにいるアメリカ人同僚の顔を思い浮かべてみると、本当に誰も化粧をしていないんです。

『みんな目鼻立ちがハッキリしているので、気付かなかったのかな……。いやでも、アジア系の同僚はどうだろう?』って思って、同僚たちをよく見ると、全く化粧をしていないわけではなく、眉毛を書き足したり、アイラインだけを入れたりはしているけれど、ファンデーションやアイシャドウ、口紅などは塗っていません。基本的に誰もがほぼすっぴん状態です。(私の働いていた会社の社員だけがそうなのかもしれませんが)

ただ、年に数回だけのパーティーや特別な食事会などの場では、同僚もバッチリ化粧をしてドレスアップします。そういえばその時に、『みんなの化粧はどぎついなぁ』って思っていたのを思い出しました。そしてそれは、同僚の化粧をしている顔を見慣れていなかったからなんだということにも、改めて気付きました。化粧をしている同僚を見て、『いつもの(すっぴんの)方がみんな美しいのにな……』って思っていました。

毎朝の洗顔後、基礎化粧品を肌に塗り、化粧下地を塗った上にファンデーションをのばし、さらにパウダーをのせて、頬にチークをぼかし、丁寧に眉毛を描いて、ビューラーでまつ毛を押さえ上げてマスカラを塗り、まぶたに数色のアイシャドウをのせてぼかしてアイラインを入れ、口紅を塗りこむという最低でも10分間以上かかる毎朝の作業をしているのは、会社で私だけだったのです。退職した後も、化粧はやめませんでした。化粧をしないで外出するのは、素っ裸で街を歩くような気分だったのです。


< 化粧という仮面で隠していた素の自分 >

でも、2020年のパンデミックをきっかけにマスクをするようになり、化粧をしなくなりました。ニューヨークの田舎に引っ越ししてからは、さらに化粧をしなくなりました。(でも日本で人と会う時は、マナーとして軽く化粧をしています)

化粧をしないことに慣れてしまった今となっては、化粧をしない恥ずかしさって一体何だったんだろう? って思うのですが、その時の心理を思い浮かべてみると、化粧という仮面の下には”生々しい私”が隠れていて、その”生々しい私”はとても見苦しいので隠さなければならないって思っていたように感じます。それは肌の皺やたるみやしみだけではなく、”私”という人格も含まれていて、化粧という仮面を被ることで、少しばかり別人格になれたように感じて安心していたのかな? とも思います。

PK-PNは、こう言います。

「人間には美しい面と醜い面がある。(姿かたちだけではなく、人格面でも)美しい上辺ばかりを磨くのではなく、内面に隠した醜い部分も認めて受け入れ、それも磨いてバランスを取ることが大切になるんだよ。

(姿かたちで言えば)美しい人ほど不幸せで、醜い人ほど幸せになる。

芸能人に限らず、(姿かたちの)美しさで注目を集めることは長続きしない。その美しさはいつか衰えていくものだから、不安や恐怖が常につきまとい、本来の自分の価値を見失ってしまう。(姿かたちの)美しい人たちの方が人生の不幸な時間が長い。

加齢で皺やたるみやしみ、白髪が出てきて、いつまでもきれいなままでいたいと嘆くのは分かるけど、もういいや! とそんな自分を受け入れてしまって、化粧もせず白髪も染めずに外に飛び出して、景色を楽しもうってなれた時、もっと幸せになるんだよ」


化粧をしなくなり、良くも悪くも本来の自分と向き合うことが多くなったように感じます。白髪といえば、加齢とともに毎月の白髪染めが頭皮にしみるようになってきました。美容師さんには「まだ早いですよ!」って言われてしまうんですが、白髪染めをやめて、カッコイイ銀髪になることに憧れています。








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