「あっ……そうだった! 思い出した!!!」
覚醒体験をした瞬間、自分が誰だったのかを思い出せました。
それはまるで、ど忘れを思い出したかのような感覚でした。
そして、故郷に帰ってきたような深い安堵を感じていました。
世界的スピリチュアルティーチャーのガンガジは著書の中で、「世界中でごく一部の方々が“それ”を探しに人生への旅へと出かけますが、そういう衝動が起こる人とそうでない人がどうして存在するのかはわかりません。」と書かれていますが、私はそのうちの一人だった、ただそれだけのことだったのだなと今は思っています。
自分というものの真実を人生かけてでも知りたかった、私の一番の望みをそれだったのです。
体験の瞬間、探求が終わったという実感はしましたが、私の身に起こったことは、この現実の世界を超えていることでなかなか思考では理解できませんでした。
ただ、どのスピリチュアルな教えにも「この世は幻想である」と書いてありますが、その意味が体験としてはっきりとわかったことは大きな気づきでした。
そしてその体験は、ガンガジが言うには、「恩寵そのものである」ということです。それは、これからの人生をその恩寵そのものに身を委ねるかどうかの選択を求められていることを意味しているようでした。
「恩寵そのもの」と言う、ガンガジの言葉の真意はとてもよくわかりました。これはどんなに努力しても意図的に起こすことは不可能な経験であることは、体験した身として理解していましたから。
でも人生そのものを恩寵に身を委ねるとはどういうことだろう? これから先、私はどうしていったらいいのだろう? という疑問がムクムク沸いてきた私は、それについての理解をする必要があると感じました。
実は体験後、私は40歳近いのにこれからはどうやって生きていけばいいのだろう? と赤ん坊状態になっている自分がいたのです。
求めていたものが手に入り、さて???という状態です。
そこで、非二元の世界的スピリチュアルティーチャー「ガンガジ」「アジャシャンティ」「エックハルトトール」の御三方の著書を丁寧に読みながら、そこで提案されていることをこなしていくことにしました。
アジャシャンティは目覚めのあと、しばしば人生の方向感覚の喪失をもたらすので、人生を認識するやり方が完全に再構築されることになるということを言っていますが、本当にその通りだと思います。
方向を見失っている感覚はかなりの不安定さを感じましたが、自分とは一体になんだろう? という苦しみに比べれば、不思議とたいしたことはないなという気持ちになりました。
そのくらい自分というものの真実を体験できたことは、大きな大きな出来事だったのです。
探し求めていた桃源郷に帰ってこれた安堵感は今も言葉にできない私の宝物です。
それにこの方向感覚の喪失は、正常な反応だということも3人の師により教えていただいたことも大きな救いでした。
彼らからの教えで大切なことをピックアップしてみると、「観察者意識に寄り添うこと」「思考と感情を観察すること」「今を楽しむこと」でした。
そうして試行錯誤、手探り状態ながらもその教えを実行して今に至ります。
次回は最終回、覚醒(悟り)体験を振り返って今日までということでお話させていただけたらなと思います。