離婚を経験したあなたへの再婚論—いつでも良い人に出逢えるよう“波動”を上げよう 

自分以外の他人は、皆が“師匠”であり“先生”。 何かを教えるために、自分の前に登場してくれた。

結婚した夫婦の1/3が離婚する時代に—私たちはなぜ結婚をするのか

私がネット上に自分のサイトを立ち上げてから、14年が経とうとしています。

この間、HP、ブログ、twitter、facebookとSNSの進化に対応して発信を続け、
全国の方々から、多くの鑑定依頼を頂戴してきました。
結婚や赤ちゃんの命名依頼といった喜ばしい出来事の一方で、家庭不和・離婚にまつわるご相談も、多く頂いています。

恋愛時代は優しかったのに、結婚して一緒に暮らすようになってからは相手の性格が豹変した。
子供が生まれたのに、全然面倒をみてくれず外で遊び歩いている。
両親の仲が悪く、いつ怒声が自分に飛んでくるか、びくびくしながら生活している……などなど、
離婚の当事者である夫妻の一方、そしてその一番の被害者であろうお子さんから、悲痛な声が届きます。
『TRINITY』の紙面では今まで恋愛、結婚、不倫の学びについて書いてきましたが、
今回は離婚の問題について、お話ししたいと思います。

 

恋愛は水たまりでバシャバシャと遊ぶようなもの、結婚は二人で造った筏(いかだ)で、大海原に漕ぎ出すようなもの

離婚の前には、誰もが“結婚”という道を通ります。
人間の生き方、価値観が多様化し、女性の社会的地位が向上した現代にあっても、
愛し合った男女は、“一緒に戸籍を入れる”という形態を選択し、夫婦となってゆきます。
それは、そこに“この二人が夫婦になれば、深く学べる”という、天の意図があるからです。

恋愛は二人だけで完結する世界ですが、結婚は、“二人で手を取り合って協力して、社会と対峙する”ということ。
そこには仕事をして生活費を稼ぎ、子供を立派に育て上げるという社会的責任が生じます。
恋愛は水たまりでバシャバシャと遊ぶようなものですが、結婚は二人で造った筏(いかだ)で、社会という大海原に漕ぎ出すようなもの。
当然、肉体的には完成していても、人間的にお互いが成熟していなければ、結婚は成立しません。

 

離婚=魂の課題の修了。いざ、前向きに次の学びへ

離婚は、お互いの魂の進化のスピードが、著しく違えた場合に屹立します。
結婚した当初は、お互いを支え合って、死ぬまで一緒に仲良くやってゆけると思っていた。
でも相手は、自分の想像したような人ではなかった……。

本来なら恋愛時代に見抜くべきことであったはずですが、それが結婚したあとに表出するということは、やはり相手を見抜く洞察力が不足していたという面もあるでしょう。
人生でいわゆる真実の結婚相手、“赤い糸”は誰でも5~6本出てきますが、その糸ではなかったという可能性もある。
逆に言えば、その相手と送った結婚生活の中で“すべての学びを終えた”ので、修了=離婚した、とも言えましょう。

結婚は、基本的に“修行”です。
それは楽しいことばかりではないでしょう。
独身時代は自由に使っていたお金が、お小遣い制になった。それは“子供を育てる”という、大人としての学びのため。
夫婦の一方が理解して節制しても、一方が自身が子供のままで外で借金して遊びまわっていたら、その結婚は破綻してしまいます。
もちろん修行の合間にも、“ご褒美”もたくさんあります。

相手の性格の良いところを再確認したり、可愛い子供の成長を目の当たりにできるなど、恋人時代と違った喜びもあるでしょう。
そこに、どれだけ自分の幸福を見いだせるか。それが結婚生活を持続させるポイントといえます。

もう一つ言えば、最初の結婚で失敗した人は、再婚で本当の“赤い糸”とめぐり逢い、幸せな結婚生活を送ることができる可能性が高い。
それは“ああ、しまった。最初の結婚でちゃんと相手を見るべきだった。今度は失敗しないようにしよう”と、真実の眼で相手を見抜き、本命と出会うための“波動を上げる努力”をしてきた賜物と言えるかもしれません。

 

“我以外皆師”—別れは、新しい自分と伴侶へと辿り着く一里塚と心得るべし

『三国志』を記した作家・吉川英治の言葉に、“我以外皆師”という名言があります。

憎くて、憎くて、しょうがなかった元の伴侶。

でも、そんな人でも、一度は自分を愛してくれた。

人を愛する喜びを、教えてくれた。

そう考えると、そこには“ありがとう”の気持ちが出てきます。

自分以外の他人は、皆が“師匠”であり“先生”。
何かを教えるために、自分の前に登場してくれた。
その人には心から感謝して、次の出逢いに賭ければいいのです。

“ああ、バツイチになってしまった”と、悲嘆にくれる必要はありません。
本当に人間を幸せにできる人には、必ず自分を幸せにしてくれる異性が近付いてきます。
人間性を磨いておけば、“真実の相手”が登場したときに“ああ、この人だった”とすぐに気づくことができるのです。
離婚も再婚も、恥ずかしいことではありません。
それだけ、厳しい“愛の試練”を、乗り越えてきたということ。
そこには、一回りも二回りも、人間として成長した、自分の姿があるはずです。

別れは、新しい出逢いへの一里塚。

あなたの人生が、実のある出逢いで彩られるよう、祈っています。

 

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