筆名と本名のあいだ~姓名判断から近代の文豪を解剖する第4回・江戸川乱歩(1894~1965)

晩年、ファンに頼まれた色紙には“うつし世はゆめ よるの夢こそまこと”としたためた乱歩。東京という迷宮地図で、煩悶しつつ自身のキャラクターを活かす道を探り続けたその人生は、まさに“まことのよるの夢”を“うつし世”に問い続けた、挑戦の軌跡であったとも言えるかもしれません。

最大凶数20との同伴とペルソナ(仮面)-激変する“大東京”を見つめた作家の光と影

今もなおその名声を轟かす乱歩ですが、彼も多くの作家と同じように、精神的苦痛を背負う“0系数”(10、20、30、40)との同伴を強いられる芸術家でありました。彼自身は正統派、本格派の文学者としての社会的評価を渇望したにも関わらず、大衆が求めたのは通俗スリラーやエログロものであり、彼は自身の正当な評価への渇望に苦しみ抜きました。昭和初めに朝日新聞に連載した変格ものの『一寸法師』が大ヒットし映画化までされたものの、乱歩はその小説の出来に納得がいかず、突然の休筆宣言をして1年以上全国を放浪するという暴挙に出ます。芸術家には吉に転ずる面があるとはいえ、破壊短命の大凶数20の凶意の影響をダイレクトに受けた行動と言ってよいでしょう。

サラリーマン・平井太郎が作家・江戸川乱歩としてデビューを果たした大正末期から昭和にかけ、東京は急激な近代都市化の途上にありました。関東大震災の直前に文壇へ登場した乱歩は、東京の復興と歩みを同じくして次々と面妖怪異な作品を発表し、推理小説の旗手としての地歩を固めてゆきます。昭和3年、1年2ケ月の長き休筆の後を受け執筆された、前期乱歩の総決算とも言うべき『陰獣』では、隅田川に架かる吾妻橋の便所で死体が発見される場面を、こんな描写で表現しています。

『私はその便所へも入ったことがあって知っているのだが、便所と云っても婦人用の一つきりの箱みたいなもので、木の床が長方形に切抜いてあって、その下をすぐ、一尺ばかりの所を、大川の水がドブリドブリと流れている。丁度汽車か船の便所と同じで、不潔物が溜まる様なことはなく、綺麗と云えば綺麗だが、その長方形に区切られた穴から、じっと下を見ていると、底の知れない青黒い水が澱んでいて、時々ごもくなどが、検微鏡の中の微生物の様に、穴の端から現われて、ゆるゆると他の端へ消えて行く。それが妙に無気味な感じなのだ。三月二十日の朝八時頃、浅草仲店の商家の若いお神さんが、千住へ用達しに行く為に、吾妻橋の汽船発着所へ来て、船を待合せる間に、今の便所に入った。そして、入ったかと思うと、いきなりキャッと悲鳴を上げて飛び出して来た。切符切りのお爺さんが聞いて見ると、便所の長方形の穴の真下に、青い水の中から、人の男の顔が女の方を見上げていたというのだ』(原文ママ)

昭和という新しい時代を迎え、大震災からの復興への過程を驀進していた東京。澱むものと流れゆくものが交錯する近代都市・浅草は、建前上“綺麗な街”でなければなりませんでした。しかしその底辺を観察すると、“底の知れない青黒い水が澱んで”いる……。
建前と本音の交錯とはつまり、ペルソナ(仮面)を被って生きてゆかねばならない都会人の苦悩でもあります(現代に生きるTRINITY読者の皆様にも、同じ感情を抱きながら生活されている方もいらっしゃるのではないでしょうか)。乱歩34歳、変態性欲を基調としたこの意欲作は、当時『新青年』の編集者であった横溝正史に激賞されるなど、まさに彼を推理作家の頂点に押し上げた金字塔となりました。姓名判断の人格は30~50歳を支配しますが、30歳までを支配する地格20の本来の数意である“大凶”の暗示が緩和され、まさに得意の絶頂であったと言えるでしょう。

 

“うつし世はゆめ よるの夢こそまこと”―東京を漂流し続けた乱歩に学ぶべきことは

関東大震災以降に急激な都市化を遂げた東京は、震災発生から一世紀が経とうとしている現在もなお、その姿を留めることなく変化を絶え間なく続けています。それは、かつて乱歩が浅草の雑踏で感じたように、“ペルソナを被ったまま、群衆に埋没するという孤独”を強いられるということを意味します。東京という街が抱える、普遍的な二面性。その残酷さに、公衆で語られることのない人間の猟奇性、変態性という性向の面から、初めて本格的にアプローチを試みた作家が、江戸川乱歩でした。

乱歩41歳の昭和10年、『中央公論』に寄稿した随筆『群集の中のロビンソン』で、彼はこう綴っています。
「私は浅草の映画街の人間の流れの中を歩いていて、それとなくあたりの人の顔を見廻しながら、この多勢の中にはきっと一人や二人の犯罪者がまじっているに違いない。もしかしたら今、人殺しをして来たばかりのラスコリニコフが何食わぬ顔をして歩いていないとも限らぬ、ということを考えてみて、不思議な興味を感じることがある。(略)だが人ごとらしくいうことはない。私自身も都会の群集にまぎれ込んだ一人のロビンソン・クルーソーであったのだ。ロビンソンになりたくてこそ、何か人種の違う大群集の中へ漂流していったのではなかったか」

晩年、ファンに頼まれた色紙には“うつし世はゆめ よるの夢こそまこと”としたためた乱歩。東京という迷宮地図で、煩悶しつつ自身のキャラクターを活かす道を探り続けたその人生は、まさに“まことのよるの夢”を“うつし世”に問い続けた、挑戦の軌跡であったとも言えるかもしれません。
本稿を書き終えたあと、早速、週明けに仕事で浅草へ足を運びます。

私も、乱歩の如くロビンソン・クルーソーになった気分で、これからもこの大東京で、意義のある“漂流”をしてゆきたいと願っています。
(了)

※改めて姓名判断の基本事項を記す。『人格』とは姓の最後と名の最初の字数の合計。主に30代~50代の運気を支配する。『外格』は姓の最初と名の最後の画数の合計。人間関係の幸運・不運を表す(名前が3文字の時は名の最下部の2つの字数をカウント)。『地格』は、名前の画数を合わせた合計。基礎体力や金運、恋愛と幼少期~青年期の基本運勢を表す。『総画』は、姓名の全ての画数を合わせたもの。人生全般のおおまかな運勢と最晩年を表す

 

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