西洋占星術での簡略化された12星座占いは、テレビや雑誌で長いこと多くの人達の目に触れてきました。今ではほとんどの人が、自分の太陽星座を知っているほど、星占いはメジャーなものとなっています。
そして北半球と南半球を合わせ、全天では88個の星座がある……ということを知っている人も多いのではないでしょうか。それらの星座は、いつ頃、誰によってどうやってつくられたのでしょうか? ざっくりと、その流れを追ってみましょう。
プラネタリウムで流れる有名な星座起源説とは
一般的に広く知られている星座起源説は、以下のような内容です。
「古代メソポタミア地方に、カルデア人が流れ着いた。カルデア人の羊飼いたちは、仕事の後に毎晩星空を眺めて、星と星を線でつないで星座を作った。それが、現在の星座に受け継がれている──」
このロマンチックな説は多くの人達に好まれ、主に日本のプラネタリウムで流されています。しかし、まったく根拠がない……というのが実際のようです。ひと言で言ってしまえば、いつ誰がどのようにして星座をつくったのか、という記録が残されておらず、謎のままとなっている……というのが、正直なところなのです。
確実に分かっている星座の起源とは
現在、確実に分かっている星座の起源は、「紀元前2500年頃、古代メソポタミアのシュメールの都市国家において」ということのようです。特に、太陽と月が通過する黄道上にある12星座は、最も早くつくられたといわれています。しかし、この頃の具体的な星座の形を表す資料は、ほとんど残されていません。
最も古い星座に関する図像が残されたものに、紀元前14世紀頃に作成された「クドゥル」と呼ばれる多くの石碑があります。これには現在よく見られる星座の図像が数多く彫られています。既にあった星座のイメージが「クドゥル」に彫られた……という考えが有力です。

クドゥルには、主に黄道12星座の図像が多く残されています。
例えば現在の天秤座と蠍座が合体された、「蠍が天秤を持っている姿」が彫られています。他には現在の魚座のイメージである、「2匹の魚が縄で結ばれた姿」もあります。星座がつくられて1000年以上に経過した頃に、ようやく残存している図像が登場するのです。
その後の星座制定の流れ
かなり時代が流れた紀元前2世紀に、学者ヒッパルコスが、850個の星に初めて6種の光度をつけて、星図に表しました。それから約300年後の紀元2世紀頃、古代ギリシャの最大の天文学者であり占星術師であるプトレマイオスが、この星図を改訂し、1022個の天体を用いて星図をつくりました。
プトレマイオスにより認定された最初の星座は北半球のみで、黄道12星座を入れて48星座となりました。この星座は17世紀までの長期間、変更されることなく使われ続けました。
現在使われている星座
その後、大航海時代の16世紀にオランダ人が南半球に渡り、そこで新しい星々を発見して、新しく12個の星座をつくり、追加しました。その後も天文学者達が次々と星座をつくり、星座づくりはブームのようになりました。
最終的には1930年に国際天文学連合により、正式に88個の星座が制定されることになったのです。それから現在まで、その88個の星座が全世界で使用されています。
占星術の起源とは
さて、星座の起源は何となくお分かりいただけたでしょうか。すると、「占星術の起源は、どのようなものだったのだろうか?」と、ちょっと気にならないでしょうか。
占星術──すなわち、星を使った未来予測を行ったのは、やはり古代メソポタミアが起源でした。その頃は、主に星座ではなく太陽や月、惑星を使用してのものでした。占星術の最古の文献は、紀元前1700年から1500年のものです。粘土でできた数多くの板に、7つの惑星と戦争、飢饉などの関連性の予言が数多く記載されています。

古代メソポタミアでは惑星や星座の動きを詳細に記録していましたが、それは科学的な研究のためではなく、占星術のために行われていたのです。古代から人々は、星の動きに神秘性を見出し、星は地上の動きに影響を与える……と考えていたのですね。
このように、星座も占星術も大変長い歴史を持っています。ときには星空を眺めて、そのことに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
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