「神社仏閣では願い事をすることより、感謝を伝えることが大事」という話は、よく見聞きされることと思います。
それでも実際には、感謝を示すのはそこそこであり、「こうして欲しい」「これが欲しい」というお願い事を熱心にする人が、圧倒的に多いのではないでしょうか。
もちろん個人差はありますが、基本的に人間というのは、大変欲深くできているためです。
願い事でも、エネルギーの法則は発動する
エネルギーの絶対的な法則として、「自分が出したものが、自分に返ってくる」というものがあります。
例えば、買い物で欲しい物を得るには、それに見合ったお金を払うことが必要ですね。
それと同じように、何かを得るには、それに見合ったものを出す……ということが、絶対的な法則であるといえます。
それを踏まえて、神様にお願い事をするということについて、再考してみましょう。
お願い事をして何かをしてもらうためには、それに見合ったものを出すことが、絶対的に必要であるということです。
もし、何も出していないのにもらうことになると、どこかでそれに見合った何かを出すことになります。
「高次元の存在なのだから、そんなケチくさいことはしないでしょう? タダでバンバンくれるはず」……と考える人が、たくさんいると思います。
ケチなのではなく、エネルギーの法則として「そうなっている」ということです。
自分から何も出さないのに、一方的に良いものを得られる、ということはないのです。
その見合ったものとは何か
その見合ったものには、複数のものが考えられます。
最も手っ取り早くて実行しやすいのが、「お金を払うこと」でしょう。
ご祈祷を受ける際に、ある程度の金額を支払うことも、それに当てはまると考えられます。
お金も、ある種のエネルギーでできているためです。
次は……これもよく言われることですが、「願い事を叶えるために、自ら行動を起こす」ということです。
行動する、というエネルギーを自分から出す訳ですから、それほど神様から多くをいただかなくても、願い事が叶うことになります。
そして最も重要なのは、「感謝のエネルギーを与えること」になります。
人から感謝されると、嬉しい気持ちになりますよね。それは神様方も同じです。
特にエネルギーを敏感に感じ取れる神様方からすると、人間が出す感謝の気持ちは大変心地良く、幸福感を味わえるのです。
幸福感を味わわせてくれたのだから、それに見合ったものをお返ししよう、と考えるのが神様なのです。
感謝と似たようなもので、「信仰心」というのもあります。
「あなたを信頼しています」という姿勢を見せられると、人間であっても嬉しいですよね。それはやはり、神様方も同じように嬉しいのです。
その場限りの一時的な気持ちではなく、普段から途切れることなく信仰心を持ってくれているのであれば、「その人を守る」など、見合ったものを与えようという気持ちが働きます。
しかし、あっちにもこっちにもお願い事をして、一時的な信仰心をばらまいていたとしたら……それは信仰ではなく、単なる欲張りです。
また、願い事を叶えてくれないから怒り出す……というのは、「自分に都合よく動け」という強制心であり、信仰しているとはいえないでしょう。
感謝の気持ちで済むのは、大変有難いこと
私が今まで行った中で、最もお願い事を叶えてもらいやすいなと感じたのは、ダキニ天を祀っているところでした。
ダキニ天は、元々はヒンドゥーの女神カーリーの待女のダーキニーです。
願い事をすると簡単に何でも叶えてくれるけれど、その代わりに、死後に魂を食べられてしまう……という伝説があるようです。
さすがに魂を食べられることはないでしょうが、ダキニ天が簡単に願い事を叶えてくれるからといって、次から次から願い事ばかりを手向けていると……
その見返りとして、一気に何かを奪われてしまう……という可能性もないとはいえないのです。
そうではなく、「事前に」感謝の気持ち、敬う気持ちを手向ければ、それで良い……というのは、何とも有難い話ではありませんか。
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