初詣に! やわらかなハートで祈る。「神仏習合」でハッピーに。

小さなわだかまりや私利私慾への執着などいらないものがゆる〜くとけて、しあわせな気持ちで新しい年を過ごせますように。

●神も仏もある日本の幸せ。

お寺だと思ってお参りに行ったら鳥居があった。
神社的なものと寺院的なものがあまりにも自然に混在しているので、どちらとも意識することなくお参りしていた……。
そこは、神社なのか、それとも寺院なのか。

日本では、古来から自然との関わりの中で生まれた神への信仰があった。
そこに、6世紀の半ば、仏教が伝来する。
双方いろんな言い分があっただろうが、共存することになった。
日本は神も仏もある国として、長いこと生きていくことになる。

 

●神仏習合は、神仏集合?

神さまと仏さまが日本に大集合したというだけではない。
おたがいに関り合い影響し合っていく。
仏教側からは、仏が神の姿で現れる和光同塵の考えが登場する。
神社が寺院を守るために作られたりもする。
おたがいに淘汰したりされたりせずに存在してこられたのは、根底にある考えが共通だったからだろう。

あるときはお寺が神社を納めたり、神仏分離令が発令されたこともあった。
もちろん相反する思想もあったと思う。
それでも共感したところがあるに違いない。
相手を倒すこと、支配することを超えた大切なことがあったのだと思う。
どちらもありがたいと支持した人々の力もあっただろう。

 

●お宮参りからお葬式まで、初詣からクリスマスまで。

生後1 カ月頃、神社に誕生をご報告し、健やかな成長をお願いする。
そして最期には多くの人が寺院の僧侶にお葬式をお願いする。
初詣は神社へ、お盆はお寺、さらにハロウィンやクリスマスも楽しむ。
今の日本は、神仏習合どころではないのかも知れない。
何でもよいのか、宗教感は? と、あきれる声もあるが、しきたりよりハート、難しいことより楽しみや、行事を言い訳にコミュニケーションを深めるなど、そんな柔軟で好い加減なことは、たくましさや、発想の豊かさがなければ、行えない。

 

●神仏習合のひとつ、大阪市福島区の聖天さん。

美味しいお店が多いと評判の大阪市福島区には、聖天通商店街がある。
少し足を伸ばせば、松下幸之助の創業の地もある。
古くから藤の名所として知られる野田も近い。
そんな古くから発展してきた福島で愛されてきた、如意山了徳院。
正面の鳥居には、歓喜天と書かれている。
その奥には、山門。
山門は、寺院の正門。ここには、聖天さんのシンボルである二股大根と巾着の提灯がかかっている。
正式には、大聖歓喜天という歓喜天は、聖天さんのことで、ガネーシャのこと。
鳥居があり、山門があるお寺であり、そしてヒンドゥー教の神さまガネーシャが祀られている。

(福島の聖天さん。藤の花や杜若でも有名)

 

●歓喜天とガネーシャ、ヒンドゥー教とも習合。

象の顔を持つガネーシャは、ベストセラーとなった「夢をかなえるゾウ」でも有名。
インド料理のお店の名前としてもよく見る。
インドでは富をもたらす神として人気がある。
日本で聖天さんと呼ばれるお寺は各地にあるが、その聖天さんが実はガネーシャだという。
サンスクリット語でガナ=群衆+イーシャ=主を意味するといわれるガネーシャは、その名前の通り、民衆の願いを担ってくれる神さまとして、日本でも庶民の祈りに寄り添うように存在している。

 

●天下茶屋の聖天さん。

阿倍野区にある聖天さんは、正圓寺という東寺真言宗のお寺。
山号としては海照山と名付けられている。海を照らす山とは、なんと美しい名前だ。
小高い聖天山の山頂が境内。
ご本尊の大聖歓喜天王は、日本で最も大きな木彫りの大聖歓喜双身天王であると縁起の案内板に書かれていた。
この聖天山の奥の院には石切さん、白玉さんが祀られていて鳥居がある。
ここは本堂の辺りよりしんとしている。しんとしているが、力強い存在感があり奥深い。

(奥の院の鳥居。聖天山を護るために祀られているのか)

 

(女坂と書かれた参道を行くとまず、ここに着く。 聖天さんのシンボルである二股大根と巾着の提灯がかかっている)

 

●八百万の神さま、仏さまに感謝。

森羅万象、自然のすべてに神が宿っているとする日本古代の神への概念があったから、仏教もヒンドゥー教も、受け入れられたのかも知れない。

小さなわだかまりや私利私慾への執着などいらないものがゆる〜くとけて、しあわせな気持ちで新しい年を過ごせますように。

こだわりを超えたおおらかで真摯な心からの祈りを、自分のために、家族のために、世界のために捧げたら、八百万の神さま、仏さまのどなたかがきいてくれる気がする。

 

(天王寺の四天王寺さんにも大きな鳥居。その奥には、寺院だけでなく高校もある)